浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0384A01: | と。此白川本房といへるもの即ち當山にして。世に |
J20_0384A02: | 白川の上人と稱するもまた之に因れり。上人常に同 |
J20_0384A03: | 門下の推服する所となり大師滅後の修善建塔及ひ嘉 |
J20_0384A04: | 祿の避難等皆其指揮に出ざるなし。 |
J20_0384A05: | 上人諸宗の迫害日に甚きを見て深く時運の非なるを |
J20_0384A06: | 察し外圓戒を旨とし敢て專修を標榜せす。然りと雖 |
J20_0384A07: | も明禪法印を始め其化によりて淨土門に歸するもの |
J20_0384A08: | 多かりき。安貞二年九月九日僧伽梨を着し頭北面西 |
J20_0384A09: | にして大師の芳骨を胸に安き安祥として寂す壽八十 |
J20_0384A10: | 三。 |
J20_0384A11: | ○第三世正信房湛空上人 |
J20_0384A12: | 上人は德大寺左大臣實能公の孫法眼圓實の子なり。 |
J20_0384A13: | 初め大納言律師公全と呼ひ四明の法將たりしも大師 |
J20_0384A14: | の門に歸し正信房湛空と改む。大師遷謫の時は配所 |
J20_0384A15: | まてともなはれしといふ。後ち居を嵯峨二尊院に卜 |
J20_0384A16: | し圓戒念佛を事とす。嘉祿三年六月山徒暴擧して大 |
J20_0384A17: | 谷の廟堂を破却するや法蓮房覺阿等良快僧正と謀り |
J20_0384B18: | て遺骸を二尊院に移しついで太秦に隱くし翌年粟生 |
J20_0384B19: | 野に荼毘す。天福元年上人鴈塔を二尊院の山上に築 |
J20_0384B20: | き遺骨を迎へ以て報恩に擬す。 |
J20_0384B21: | 信空上人より戒統並に當山の付屬を受け天下の戒和 |
J20_0384B22: | 尚として 土御門上皇 後嵯峨天皇修明門院に圓戒 |
J20_0384B23: | を授けたてまつる。建長五年七月廿七日生年七十八 |
J20_0384B24: | にして寂す。上人淨業の傍ら國風を嗜み其詠『續後 |
J20_0384B25: | 選』『續古今』『新後選集』等に出つ。 |
J20_0384B26: | ○第四世求道房惠尋上人 |
J20_0384B27: | 上人は姓氏詳ならす。幼にして叡山黑谷に登り台敎 |
J20_0384B28: | を學ひ。後ち湛空上人に從ひて圓戒念佛を禀承し當 |
J20_0384B29: | 山を領す。新黑谷の稱は盖し此頃より歟一説大師の在世既に此稱あ |
J20_0384B30: | りと云云 文永弘安の頃台門の戒學大に廢す。而して上 |
J20_0384B31: | 人圓戒の正統たるによりて元應寺の傳信法勝寺の惠 |
J20_0384B32: | 鎭元興寺の惟賢西山の道空理圓等皆上人に從て流傳 |
J20_0384B33: | せさるなし。晩年餘事を廢して唯念佛を行す。弘安 |
J20_0384B34: | 元年十月二十八日寂す。 |