浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0388A01: | 淨蓮社と號す。上人の住世永祿元年實譽眞敎金光院 |
J20_0388A02: | を剙め。同四年溪譽善玉正福院を開く。是より當山 |
J20_0388A03: | の大衆塔頭支院を創設するもの漸く多し。同七年上 |
J20_0388A04: | 人栖松院を金光院の南に創し翌年之に退隱し同十年 |
J20_0388A05: | 三月二日寂す一説雲栖上人一旦退隱し正玉善海の二師之に嗣く 其後上人再住せらるといふ |
J20_0388A06: | ○第二十世弘譽傳心上人 |
J20_0388A07: | 專蓮社と號す。元龜三年十二月十五日寂す。 |
J20_0388A08: | ○第二十一世性譽法山上人 |
J20_0388A09: | 源蓮社と號す。尾張の人なり。永祿年中藝州廣島に |
J20_0388A10: | 戒善寺廣敎寺紀州有田に大乘寺を起し天文二十三年 |
J20_0388A11: | 京に國生寺を創して宗風を宣揚す。元龜三年十二月 |
J20_0388A12: | 當山を董す。天正元年善香法師と共に靈異を感して |
J20_0388A13: | 大師埋骨の靈地を發見す乃ち五輪の塔を建て傍に一 |
J20_0388A14: | 菴を設く是れ勢至堂及法泉菴の濫觴なり。 |
J20_0388A15: | 天正二年十一月織田信長公制狀を賜ふ。又當山より |
J20_0388A16: | 火筋を献す公の謝狀今に在り。天正十三年十一月豐 |
J20_0388A17: | 臣秀吉公寺領百三十石の朱印を賜ふ。 |
J20_0388B18: | 又上人曾て佐野宗綱入道天德寺了伯と稱すの窮を救ふ。入道後 |
J20_0388B19: | ち豐公の知遇を受くるに及ひ大に上人を德とす。當 |
J20_0388B20: | 山什寶俵藤太の繪卷物は其寄贈にかかるといふ。上 |
J20_0388B21: | 人の住世妙蓮院法泉菴瑞泉院淨專院明壽院後改常光院英 |
J20_0388B22: | 春院後改淨源院西翁院等の子院を創す。 |
J20_0388B23: | 上人晩年攝州眞上の眞如寺に隱棲し天正十四年八月 |
J20_0388B24: | 十五日寂す。年八十三。丹波桑田郡の專念寺大恩寺 |
J20_0388B25: | もまた上人の起立にかかる |
J20_0388B26: | ○第二十二世道殘源立上人 |
J20_0388B27: | 然蓮社愚同良智と號す。越前の人なり十八歳の時下 |
J20_0388B28: | 野大澤圓通寺に到り良迦上人に師事すること十餘年 |
J20_0388B29: | 才學英發遂に其附屬を受く。後ち故國に歸るや。 |
J20_0388B30: | 西福寺亮叡上人延いて補處とす。天正六年香衣參内 |
J20_0388B31: | を聽さる。正親町天皇其才學を嘉みし在京して宗侶 |
J20_0388B32: | を提撕せしめ給ふ。同十四年六月勅を奉して淨華院 |
J20_0388B33: | に晋み。同十七年五月當院に轉す。是より先き當山 |
J20_0388B34: | の門徒淨華院の塔頭と快からす常に紛爭を事とす十 |