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J3010 百万遍知恩寺誌要 百万遍編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0315A01: の人之に及ぶ者なし後城州八幡志水の庄正法寺に
J20_0315A02: 住して大に宗法を宣揚す大永元年七月廿七日後柏
J20_0315A03: 原天皇の敕請により當寺に住して堂塔を再興し施
J20_0315A04: 化利生す聖上の御歸依淺からず屢延きて法要を講
J20_0315A05: ぜしめ給ふ大永二年九月二十二日より一七日の間
J20_0315A06: 禁裏に於て大原談義を講し奉る主上叡感の餘り宸
J20_0315A07: 翰の知恩寺額一枚起請文像賛及ひ紫袍を賜ふ上人
J20_0315A08: の眉目眞宗の光華之に加ふる者なし是に於て上人
J20_0315A09: の德光煥然として中外に輝き當寺一宗第一の實備
J20_0315A10: はるに至れり依て幕府は當寺を吾門の本寺となし
J20_0315A11: 知恩院はそが別院たるの公狀を下せり然るに靑蓮
J20_0315A12: 院尊鎭法親王は知恩院に荷擔して不可を辨し其容
J20_0315A13: れられざるや憤て高野に遁れ給ひしかば山門三塔
J20_0315A14: 僉議して朝廷及ひ幕府に訴へ事遂に知恩院の利に
J20_0315A15: 歸して其終を結べり松蔭の硯は重衡卿開祖上人に
J20_0315A16: 嚫施し給ふ所にして源智上人之を相續し當寺の什
J20_0315A17: 寶たりしが應仁の亂に所在を失せり傳譽上人代大
J20_0315B18: 永二年春篠原正琳之を奉還す天文年中山徒日吉社
J20_0315B19: 修造のため當寺に於て山門の靈寶を京師の衆人に
J20_0315B20: 拜せしむ上人請に應して知識を唱へ説法勸進三十
J20_0315B21: 餘日に及ぶ衆人歸敬の志を起して造營を助く山徒
J20_0315B22: 之を德とし元祖の眞影を送て其功を謝す是れ即ち
J20_0315B23: 顯眞座主の望に依て摸寫し給ひし所にして座主持
J20_0315B24: 念の尊像なりしと云ふ上人の德聲高して後奈良院
J20_0315B25: の御歸依また深し宸翰方丈の額並首座の綸旨を賜
J20_0315B26: ひ天文年中八幡正法寺に隱棲するも叡旨尚ほ淺か
J20_0315B27: らず八幡大菩薩の像を下し給へりと云ふ永祿二年
J20_0315B28: 九月十日寂享年八十四
J20_0315B29: 第廿六世明蓮社賀譽上人天文廿三年正月廿五日寂
J20_0315B30: 第廿七世心蓮社岌翁上人法系郷貫共に詳ならず始め
J20_0315B31: 越後糸魚川に終南山善導寺を開きて法燈を挑ぐる
J20_0315B32: に德光遠く天聽に達し遂に皇家再興宗門紹隆の綸
J20_0315B33: 命を拜し後奈良院の敕請によりて當寺に住し入院
J20_0315B34: の翌日天文十三四月朔日紫袍を賜ふ天文十九年八月廿二日萬

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