浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0314A01: | 宗第一たるにより特に香衣を賜ひ參内せしめ給ふ |
J20_0314A02: | 同御宇文安の頃水災地震疫疾飢饉等頻に起り人心 |
J20_0314A03: | 安からず主上宸襟を惱し給ひ上人に敕して禳災百 |
J20_0314A04: | 萬遍の祈願を行はせ給ふ當寺を敕願所と詔し給ふ |
J20_0314A05: | こと此時を始とす上人はまた開祖大師の御忌法式 |
J20_0314A06: | を定め諷誦法則を製して後代に範を垂る後知恩院 |
J20_0314A07: | に轉し長祿三年正月廿四日寂年五十七上人は實に |
J20_0314A08: | 京畿に於ける鎭西白旗義興起の師にしてまた當寺 |
J20_0314A09: | を中興す故に當山に於ては特に大譽忌を修して其 |
J20_0314A10: | 恩に酬ゆ |
J20_0314A11: | 第廿世善譽上人は淸蓮社良敏と號す蓮譽の徒にして |
J20_0314A12: | 大譽と同法たり寬正二年天下疾疫流行し骸骨衢に |
J20_0314A13: | 充つ乃ち敕を奉して祈願會を修す同四年天變數數 |
J20_0314A14: | 起り疫疾流行人多く死す慈照院義政公禳災精修の |
J20_0314A15: | 公狀を賜ふ同六年四月廿三日寂壽五十四 |
J20_0314A16: | 第廿一世法譽上人は善蓮社聖然と號す永正六年十月 |
J20_0314A17: | 廿四日寂壽七十四上人は日野大納言豐光卿の息善 |
J20_0314B18: | 譽上人に師事し飯沼に掛錫せられたるが如し次て當山に住す應仁 |
J20_0314B19: | の兵亂に京師の大半烏有に歸し連年災厲起る文明 |
J20_0314B20: | 元年四月十九日敕を奉して天下泰平國家安全の祈 |
J20_0314B21: | 願を修し翌二年十二月廿六日後花園院御臨終の善 |
J20_0314B22: | 知識を勤め翌三年正月十七日法皇尊儀御菩提のた |
J20_0314B23: | め淨土三部經頓寫を奉行す同四年九月十六日參内 |
J20_0314B24: | して百萬遍念佛會を行ひ同五年二月十一日紫袍を |
J20_0314B25: | 賜ふ吾宗賜紫の事之を嚆矢とす永正五年五月十一 |
J20_0314B26: | 日三好筑前守戰敗れ當寺に於て生害す時に殿堂房 |
J20_0314B27: | 舍等破毀の難を蒙れりと云ふ |
J20_0314B28: | 第廿二世光蓮社然譽上人天文三年六月廿七日寂 |
J20_0314B29: | 第廿三世西蓮社眞譽上人 |
J20_0314B30: | 第廿四世千蓮社聖譽上人 |
J20_0314B31: | 第廿五世千蓮社傳譽慶秀上人其郷貫詳ならず十二歳 |
J20_0314B32: | の時當山廿三世眞譽上人に就て剃染修學し又叡岳 |
J20_0314B33: | 東寺等に學ふ更に飯沼に掛錫し了曉門下の薰陶を受けたる者の如し資性聰敏研鑚功 |
J20_0314B34: | を積みて聖淨顯密の奧旨に通し博覽辯舌當時宗門 |