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J3000 江戸崎大念寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0309A01: 十兩を賜りき當時の習慣として自著を獻ずること頗
J20_0309A02: る難かりしに表坊主にして此の如き待遇を受けた
J20_0309A03: るは頗る異例に屬するを以て傍人をして其殊遇を
J20_0309A04: 羡望せしめたりと云ふ平戸侯松浦靜山朽木義綱成
J20_0309A05: 畠道筑林靜宇等と交情最も親し嘗て其著佐喜草の
J20_0309A06: 稿なるや麾下の士大野權之亟切に其稿本を讓受け
J20_0309A07: んことを請ふこと再三之を受けて少しく體裁を改め名
J20_0309A08: を泰平年表と題し殿居袋靑表紙と共に之を梓に上
J20_0309A09: せ世に頒てり頒限三百部市に鬻ぐことを禁じたりし
J20_0309A10: が當時此の如き出版は幕府の禁ずる所なりし故に
J20_0309A11: 權之亟は罰せられて丹波綾部に幽閉せられ鏤刻せ
J20_0309A12: し書肆は江戸を追放せられたり攝門上人の關係者
J20_0309A13: にしては刑辟に觸れしもの祖父大貳あり今また權
J20_0309A14: 之亟あり後に友人近藤守重あるは傳奇なる生涯に
J20_0309A15: 更に一段の奇を加ふるものと云ふべし』還俗の後
J20_0309A16: 著はせし書に舊考餘錄、東武太記、千代の松が根、
J20_0309A17: 幕府祖胤錄、廣忠君御廟記、市場殿墓考、神祖七
J20_0309B18: 男松千代君八男仙千代君御廟記等あり多くは流布
J20_0309B19: せずして秘府に藏せらる先德奠香錄は還俗の後天
J20_0309B20: 保六年本宗淨侶の囑により撰述せるもの也』天保
J20_0309B21: 十年八月六日世壽五十八にして病死す或はいふア
J20_0309B22: ルコール中毒のために路傍に仆れたるなりと傳奇
J20_0309B23: なる人はかくして傳奇にして終焉の幕を閉ぢたり
J20_0309B24: 墓は麴町心法寺にあり遠塵院常譽察阿覺齋居士蓋
J20_0309B25: し自撰の號也男德野覺齋俳諧を好み夜雪庵の門に
J20_0309B26: 入り夜鶴庵と號せり』
J20_0309B27: 編者云く本傳は上人の法縁中谷氏の筆する所今
J20_0309B28: 之を採錄して上人を傳ふるの一端とす

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