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J3000 江戸崎大念寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0308A01: 事實也上人の學禀承するところなく多くは獨學剋
J20_0308A02: 苦の餘になれるものの如く其得意とする所は歷史
J20_0308A03: 系譜にあり文政元年七月華嚴原人論の講莚を開き
J20_0308A04: 講錄三卷を撰べり法務の餘暇其該博なる史才を傾
J20_0308A05: けて撰述せるもの三縁山志十八檀林志年中法要淸
J20_0308A06: 規院中檀越碑銘山中奇蹟拾遺學匠略傳本末寺院名
J20_0308A07: 數四流六派法系門室院家御流等あり嘗て崇廟祭名
J20_0308A08: 錄を著はして德川家先亡の奠香に資す上人の縁山
J20_0308A09: にあるや彌陀經を誦ずること廿萬邊稱名禮拜四十萬
J20_0308A10: 遍に及べりと云淨業に精進なりしことまた尋常にあ
J20_0308A11: らざりしが如し事は高田與靖が序に見えたり』傳
J20_0308A12: の奇なるは上人の生涯也其家系出家目錄に於ての
J20_0308A13: みならず雄宕の氣三郞兵衞以來大貳に至りて澎湃
J20_0308A14: たりし武士の血は攝門上人の皮下に流れたり其出
J20_0308A15: 家たる世塵を厭ひたるにあらざれは緇流に伍して
J20_0308A16: 紛紛たる本山の席を爭ふが如きも上人の所志にあ
J20_0308A17: らず卓犖の才滿滿たる覇氣は終に緇衣を脱して塵
J20_0308B18: 中の人たらしめたり時に文政二年十月廿一日也離
J20_0308B19: 山のとき著書既に九十七部二百十九卷に及べりと
J20_0308B20: いふ精力の卓絶なる實に愕くに勝へたり』上人が
J20_0308B21: 交遊せし所の士皆當時の名士にして彼の北門の防
J20_0308B22: 備を建言し自から擇捉島に渡り露人の建設せし十
J20_0308B23: 字架を撤し天長地久大日本國の標木を樹てたる近
J20_0308B24: 藤守重の如き博學多識を以て一時に鳴りし屋代輪
J20_0308B25: 池高田與靖の如き其交情尋常にあらざりしは彼等
J20_0308B26: が序跋等に明也就中近藤正齋は剛腹を以て聞へ容
J20_0308B27: 易に人に許さずしかも上人を目して能く内外の學
J20_0308B28: に通じ傍ら經論の要を究む其頂を圓にすと雖も然
J20_0308B29: かも其志を方にす堂堂たる一武辯なりと云へるは
J20_0308B30: 上人の性行を盡せるものにして而も守重が上人を
J20_0308B31: 重ぜるを見るべき也』還俗せる攝門は幕府表坊主
J20_0308B32: 竹尾氏の株を讓り受けて竹尾善筑と稱し勤務の餘
J20_0308B33: 暇幕府の舊記傳説を參考して舊考餘錄五卷を著は
J20_0308B34: し天保三年之を幕府に獻納し篤志を賞され白銀五

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