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J3000 江戸崎大念寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0307A01: 政六年伊勢國にして釋門に入り察龍と稱すと生年
J20_0307A02: 天明二年より算すれば正に十三年也十三歳の出家
J20_0307A03: は疑ふべからず』然るに十三歳の少年が脱素披緇
J20_0307A04: の身となりし因縁に就ては家糸小傳其他の記錄に
J20_0307A05: 於て何等の語る所なしと雖も古老の傳説に依れば
J20_0307A06: 當時の事情揣摩するに難からざる也蓋し少年の胸
J20_0307A07: を躍らせ血を沸かすは先人の功名談に過ぎたるも
J20_0307A08: のなし古來之に縁りて志を立てたるもの尠からざ
J20_0307A09: るは史傳の語る所上人また其一人なりし也曩祖三
J20_0307A10: 郞兵衞は甲斐の名臣たり祖父大貳は三千の門下に
J20_0307A11: 擁せられ諸侯の賓師たり其尊皇の橫議幕府の忌諱
J20_0307A12: に觸れ空しく刑場の露と消えし顚末はいかに此少
J20_0307A13: 年の胸を躍らせしぞ俊邁の質學を好みし少年は父
J20_0307A14: の稼業の引手茶屋の日夕見るものは遊郞嬌婦の痴
J20_0307A15: 態聞くものは鄙聲卑猥の話頭也欝悖たる少年の志
J20_0307A16: 想は此賤業を厭ふの念熾にして終に抑ふべからず
J20_0307A17: 脱然として家を出てて西へ走れり』何の目的ある
J20_0307B18: にあらざれとも一度伊勢大廟に詣して禱ることあら
J20_0307B19: むとして東海道を西へ登りしが身に貯もなく箱根
J20_0307B20: に至れる頃は困憊して殆んど步む能はず時に通り
J20_0307B21: 合せし出家あり之を憐みて懇に來由を問ふ少年乃
J20_0307B22: ち所志來歷を語る此出家は心法寺の第十五世攝心
J20_0307B23: 上人なりき』攝心上人少年を伴ひて伊勢大廟に詣
J20_0307B24: でしも來迎寺に暫く錫を留む少年はつらつら思ふ
J20_0307B25: に志を樹つと雖も身は刑人の後也徒手赤裸にして
J20_0307B26: 志を遂げんこと難し如かず身を方外に托せんにはと
J20_0307B27: 攝心上人に請ふて得度し名を察龍と稱し伊勢に留
J20_0307B28: ること四年十七歳のとき伊勢を辭して江戸に歸る此
J20_0307B29: 時既に記行ありし由高田與靖の先德奠香錄序に見
J20_0307B30: ゆ其俊才想ふべき也江戸にては心法寺に留錫せし
J20_0307B31: や將た直ちに縁山に入りしや明ならず修學數年の
J20_0307B32: 後六紀八年三島中谷在心室の寮主となり同十二年
J20_0307B33: 名を攝門と改む其上京して嵯峨淸凉寺に留錫せし
J20_0307B34: は何時なりしか知らざれども兎に角京に遊べるは

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