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J2980 深川霊巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0248A01: 鐘撞堂 大師堂の北にあり寬政中燒失後假建なり
J20_0248A02: 鐘 圓徑五尺余 高壹丈余 厚九寸
J20_0248A03:
J20_0248A04: 開祖松風上人創建斯靈區後大譽珂山和尚以明曆丙
J20_0248A05: 申年鑄洪鐘於靈巖島其後 命乃移寺於今地而洪鐘
J20_0248A06: 亦隨移遷延寶年之間鐘屢罹災不響亮矣於是予遂發
J20_0248A07: 志募得銅錫於有信增加舊鐘更改鑄以水備法器而此
J20_0248A08: 寺卑濕不利鑄鐘故於淺草九品精舍竣鳧氏之功云
J20_0248A09: 延享改元甲子孟冬七日現住麗譽善阿順眞謹誌
J20_0248A10: 道本山東海院靈巖寺
J20_0248A11: 大方丈 度度燒失寬政中回祿文化中再建のところ
J20_0248A12: 文政元年正月二日夜又自火により一圓類燒追追立
J20_0248A13: 坪减少本堂より東にあり當時本尊並に觀音勢至は
J20_0248A14: 始悉く安置玄關内玄關より内表坐敷等悉く此所に
J20_0248A15: 具す始貞巖上人代建所の建坪ことに多かりし
J20_0248A16: 是寬政回祿の時智堂上人建られしかと燒失により
J20_0248A17: 潮冏上人建られし其のち追追貞嚴上人建添られし
J20_0248B18: なり
J20_0248B19: 孝潤上人代自火燒失に付て諸記錄位牌什具に至る
J20_0248B20: まで悉く燒失す然れども自身又大方丈を建改めら
J20_0248B21: れ引つつき遷化なり
J20_0248B22: 位牌堂
J20_0248B23: 大方丈の東に一棟別に貞嚴上人建改らるそれより
J20_0248B24: 別棟にあらす此所に諸侯方並麾下衆別に靈屋なき
J20_0248B25: の靈牌を安置す備前家土州藤堂和泉守酒井雅樂頭
J20_0248B26: 西尾隱岐守相良遠江守をはじめ諸縁檀方の位牌多
J20_0248B27: し神田源七は町家なりといへとも由緖によりて此
J20_0248B28: 中に安置すすへて本坊位牌壇には町家の位牌神田
J20_0248B29: 氏の外は一基も安置せす
J20_0248B30: 庫 裏
J20_0248B31: 貞嚴上人代再建あられしより孝潤上人代燒亡後假
J20_0248B32: 建なりしを顯海上人代新に建立あり十五間に十間
J20_0248B33: なり
J20_0248B34: 新書院

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