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J2980 深川霊巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0247A01: 此時富賀岡八幡宮を以當山の鎭守とし兩門前並に
J20_0247A02: 靈巖島は氏子とす故に祭禮ある時は惣門前に神輿
J20_0247A03: を休下し惣門へ珠簾紫幕を張り置き時の山主並に
J20_0247A04: 一山の長老を衞侍せしめ法樂を備へ誦經念佛あり
J20_0247A05: 又神輿に附添る萬灯並家主共が警固參列も當山の
J20_0247A06: 兩門前を以て初番と定め海邊大工町を第一番とす
J20_0247A07: 次には諸町町の割番ありといふ文化四年八月十
J20_0247A08: 九日永代橋俄落の時予も八幡宮祭禮を拜す其時一
J20_0247A09: 見せしに靈巖寺門前町を初番と定列す
J20_0247A10: 所建諸堂
J20_0247A11: 本堂 中門内二十間餘南向 今無
J20_0247A12: 寬永中今の靈巖島にて初建の堂は十八間に十五間
J20_0247A13: 京間也明曆三年燒失後當地に移りても猶十八間に十
J20_0247A14: 五間也其のち又燒失享保中再建ありしかど又明和
J20_0247A15: 八卯年八月十一日夜本堂燒失により安永中又再建
J20_0247A16:
J20_0247A17: 此堂予一見す堂の棟に九曜紋五所にあり唐破風向
J20_0247B18: 拜方丈より廊下あり礎石は神田橋外護持院取拂の
J20_0247B19: 時往的上人乞願はれしを賜へりしなり石のわたし
J20_0247B20: 大は丈余に及ひ小は五六尺もあり今猶存す
J20_0247B21: 此時の堂は梁間京間十三間桁行同十三間向牌京間
J20_0247B22: 五間二尺後通二間十三間鑁東方二間一間の庇
J20_0247B23: 寬政九年十一月二十二日麻布大火の時又烏有とな
J20_0247B24: る此時潮冏上人大衆へ宗傳の時なり僧俗ともに防
J20_0247B25: 火の手あて申入しを傳法の席なり火災あるべから
J20_0247B26: ずと自若たりしかど其内圓火風陣に競ひ殿宇子院
J20_0247B27: 學寮門塀小屋等に至るまで一山殘りなく灰燼とな
J20_0247B28: れり
J20_0247B29: 講法堂 中門の内左にあり六間四方塗屋なり寬政の
J20_0247B30: 火災に殘りける講法堂の三字を扁し又天龍擁護の
J20_0247B31: 四字を題す是一切經庫なり二枚の聯は開山の偈頌
J20_0247B32: にて同筆とも云
J20_0247B33: 三科七大如來藏 五眼具足滿識身
J20_0247B34: 本形影像同一體 生前滅後無窮盡

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