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J2840 鎌倉光明寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0609A01: りとてしひて乞ければ下し賜りしと也是大覺は時
J19_0609A02: 賴の歸敬諸侯の崇信は深かりしかど皇帝の戒師と
J19_0609A03: ならさりしかば國師の號に及はれすして禪師と賜
J19_0609A04: りし也今師は二帝の戒師たれば國師の號は乞にま
J19_0609A05: かせらるべきを門輩のおろかより遺念を末代にの
J19_0609A06: こせり然ども宗徒又これにうとければ遺念せるも
J19_0609A07: のなし
J19_0609A08: 阿彌陀堂 十二間四方 始玄關に並べりしを寬政の
J19_0609A09: 始倫譽上人再建此地に移す
J19_0609A10: 佛像は運慶作肚裏に運慶か骨を收と云觀音勢至作
J19_0609A11: 不知一説に湛慶作と云近年常念佛を日州延岡侯よ
J19_0609A12: り寄附開闢有り此事彼侯曉山居士より現譽大僧正に尋
J19_0609A13: させられ倫譽公の代に始る居士始一切經寄附か常
J19_0609A14: 念佛かの功德の淺深又日向國城下菩提所にての始
J19_0609A15: 行などの事を問はせられし時當山にとすすめられ
J19_0609A16: し故也此堂のうら通りに十夜の時講中の止宿の間
J19_0609A17: を建て並ぶ
J19_0609B18: 大方丈 蓮花院と云 文化中敎譽上人代再建有之阿
J19_0609B19: 彌陀佛を安置運慶か作肚裏に運慶か骨を收
J19_0609B20: 祈禱堂 「祈禱」の額 後土御門院宸筆
J19_0609B21: 此額の裏に福德二年辛亥九月吉日と有之
J19_0609B22: 按るに福德の號本朝年代になし鎌倉兩上杉亂を作
J19_0609B23: の時伊豆の御所政知の時にあたり東關に私潛に年
J19_0609B24: 號を立られし事元是持氏持仲關東に威を振はれし
J19_0609B25: より僞潜の年號を立用けると云ふ福德二年は延德
J19_0609B26: 三年に當れり此頃東關陸奧の間にはまま此年號を
J19_0609B27: 記せし文書今に有り
J19_0609B28: 堂内安置辨才天 江島本身也
J19_0609B29: 天文元年二月十一日暴風吹來て當山の前濱に江島
J19_0609B30: の辨才天寄泊る里民相議し彼僧に戾す其後又來る
J19_0609B31: 如此事三度に及故に寺僧御鬮をとりて伺ふ時永永
J19_0609B32: 當山にととまるべきよし也故に安置すかの島是よ
J19_0609B33: り岩屋の辨天と名は唱れと金胎兩部の大日を安置
J19_0609B34: し辨天島窟におはしまさず夫よりさきには大日尊

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