浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0607A01: | いよいよ榮昌たり其後上杉管領の時より鎌倉自然と |
J19_0607A02: | 衰へ大廢變して田畑と成寺院失て竹林となるに及び |
J19_0607A03: | 八重九重の山頭白雲彩霞に昔の俤のみ殘りて貴賤他 |
J19_0607A04: | 邦に散亂せしかば當山も沿革回祿數度に及び一榮一 |
J19_0607A05: | 衰時に祥不祥ありといへども寺門佐介谷より今の地 |
J19_0607A06: | に移轉ののちは再び改むる事五百の星霜夢にひとし |
J19_0607A07: | く觀せられて今猶御當家御開國の頃定させられし十 |
J19_0607A08: | 八員の首座に標列して開山の遺德空しからず代代の |
J19_0607A09: | 歷住の功失ふ事なくして賜紫勅願の光榮朱璽檀林の |
J19_0607A10: | 譽れ自他宗に冠魁せる事しかしながら護法の善神大 |
J19_0607A11: | 小の冥鑑たるものならん歟さるを以て當山は開祖禪 |
J19_0607A12: | 師門下六派の惣本山と定むといへども學する所は白 |
J19_0607A13: | 旗流のみなり是開祖の嫡弟寂惠上人栖庵の地名なる |
J19_0607A14: | が故つひに流名とす |
J19_0607A15: | 按るに宗徒古來より白旗は相模國と云是は藤澤宿 |
J19_0607A16: | の西に白旗大明神の社あるが故に左に思へれどこ |
J19_0607A17: | は源義經を祭れる社の名にて村名にあらず一説に |
J19_0607B18: | 寂惠公此社の傍に住れしかば白旗と名く今の藤澤 |
J19_0607B19: | 宿淨光寺は其時の庵蹟なり遙年を經て一宇とせし |
J19_0607B20: | と云又一説には開祖勝願寺起開の時彼近隣の一村 |
J19_0607B21: | の小名の白旗なり故に寂惠公の上足定惠上人の舊 |
J19_0607B22: | 跡鴻巢にちかき箕田にあり夫に住弘通せられしか |
J19_0607B23: | ば上州館林村に善導寺を建られしも其地にちかき |
J19_0607B24: | を以てしるへしと今此二説によりて兩國武相の圖を |
J19_0607B25: | ひらき見るに相模國に白旗の地名なし武藏國に二 |
J19_0607B26: | ケ所あり一は足立郡の白幡村は浦和と蕨の二宿の |
J19_0607B27: | 間の南にあたりて東は根岸村北は岸村南は沼影村 |
J19_0607B28: | 西は別所村なり是鴻巢へ近きといふ所歟一は橘樹 |
J19_0607B29: | 郡の白旗村は神奈川の西にて北は寺尾村西は篠原 |
J19_0607B30: | 村南は六角橋村なり此二ケ村の内に惠公の舊跡傳 |
J19_0607B31: | ふる事なし又或云上總國東に白幡村あり蓮沼下總 |
J19_0607B32: | の木戸村に近し記主公蓮沼極樂寺木戸光專寺等開 |
J19_0607B33: | 建の上千葉の一族等が請によりて南北二總の間に |
J19_0607B34: | 遊化ましますこと十餘年その中間其所に寂惠在せ |