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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0355A01: らきて專修の別塲とし學徒の問論講義を他にゆづり
J19_0355A02: てひとへに西刹の素願を遂んとせられし地なり舊地
J19_0355A03: は今より北の方にありしと云
J19_0355A04: 按するに靑山家笹山侯傳に稱名院を以菩提所と定む
J19_0355A05: 今花岳院の地なり稱名院を三田に移し稱讃寺とい
J19_0355A06: へりとあり當地より八町堀日比谷町に移り寬永十八巳年又三田にうつる
J19_0355A07: 第二世智存は知雲上人の弟子にして跡を補し信願仰
J19_0355A08: 西の一事に功をつみて學講の道をは專とせられざり
J19_0355A09: と也凡我宗大小の寺院に住し内外の書をひらき學ひ
J19_0355A10: 自他宗の要道を究るも其本意はみな出離生死の遲速
J19_0355A11: を照悟し時機相應の行法を求得せん爲なりたとへ内
J19_0355A12: 外顯密の智匠となるとも出離の一事を忘るる時は都
J19_0355A13: て佛家の法將にあらす矧やひとへに成佛の速證を期
J19_0355A14: して安養の不退を願ふものに於をや智存師此旨を證
J19_0355A15: 了せりと見へたり然らは往生の素意空しからずして
J19_0355A16: 淨土の行願ここに賴みあり
J19_0355A17: 當院の門に彫龍あり往古より左甚五郞の作と云
J19_0355B18: 一説云當院第五世法圓は山城國深草の人にして甚
J19_0355B19: 五郞と交深し一とせ東關の兩脉を傳へ歸省の時か
J19_0355B20: の方にとひ門彫の事をやくして持かへれりと云云
J19_0355B21: 此説何の據をしらすといへ共御當山内にも源流院
J19_0355B22: 天光院の門にも龍彫あり然とも左の作といふ事な
J19_0355B23: し然らは往年より言つぎ傳つぎけるも故あらんか
J19_0355B24: 又左氏といふ姓もあり甚五郞は左手にて作れるの達士なれは異名せりと云左といへる人天正よ
J19_0355B25: り寬永まて三人あり其中に甚五郞ありいづれともさだめがたし
J19_0355B26: 宿坊
J19_0355B27: 榊原遠江守 奧平大膳大夫 松平和泉守
J19_0355B28: 鍋島丹波守 五島大和守
J19_0355B29: 歷世
J19_0355B30:
J19_0355B31: 知雲御當山六世 智存建蓮社立譽天文二十ノ十月朔日 存敎常蓮社然譽天正十ノ十月十五日 存徹敎蓮社範譽慶長十六ノ八月廿四日 法圓稱蓮社直譽寬永七ノ九月廿八日 圓治淨蓮社欣譽寬文五ノ十月十八日

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