浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0223A01: | 二間、桁行六間半、瓧葺なり。元と桃山の城門なり |
J19_0223A02: | しが、慶長年間此所に移して通用門となす。 |
J19_0223A03: | 總門 黑門の正西約二百間の地に在り。白河に接 |
J19_0223A04: | す。明二間半、瓧葺なり。慶長以後專ら此より本院 |
J19_0223A05: | に通せしを以て、支院其左右に列せり。後ち櫻馬場 |
J19_0223A06: | を開き、表門を設くるに及ひ、彼を新門と稱し、此 |
J19_0223A07: | を古門と呼へり。 |
J19_0223A08: | 得淨明院 黑門、總門の中間、舊學林の北部、知 |
J19_0223A09: | 恩院宮御殿の舊址に在り。 明治十五年善光寺大本 |
J19_0223A10: | 願上人久我誓圓尼公の開創にして、本宗の別格寺な |
J19_0223A11: | り。 |
J19_0223A12: | 塔頭支院 黑門前より總門に至るまで、其北側に |
J19_0223A13: | 在るものを良正院、先求院、舊學林、福壽院、浩德院、 |
J19_0223A14: | 松宿菴、その南側に在るものを通照院、常稱院、信重 |
J19_0223A15: | 院、保德院、忠岸院、入信院、光照院とす。良正院は |
J19_0223A16: | 元と浩翁軒と號す。賾譽宗把の時、鳥取侯池田忠雄 |
J19_0223A17: | 母公良正院殿東照公の息女の香花所と定むるに及ひ、今の |
J19_0223B18: | 名に改む。先求院は天正の頃酒井忠次法諱先求院殿の庵居 |
J19_0223B19: | せし所にして、聲譽助念を開山とす。舊學林の地、 |
J19_0223B20: | 元と知恩院門跡の御所なり。南北の寮舍は明治十四 |
J19_0223B21: | 年の建設にかかる。福壽院は元と松壽或は樹に作る院と號 |
J19_0223B22: | す。有馬氏の開基なり。通照院は元と西養軒と號す。 |
J19_0223B23: | 元祿十五年靈雲院と改め、享保に至り、今の名に改 |
J19_0223B24: | む。信重院は天正年中名譽重信の開基にして、慶長 |
J19_0223B25: | 八年藤堂勝兵衞の香華院とす。保德院は正保年中松 |
J19_0223B26: | 譽源甫の開基。入信院は元と智相院と稱し、寬永年 |
J19_0223B27: | 中松平越中守定綱の建つる所にして、靈巖上人を祖 |
J19_0223B28: | とす。元祿、寶永の頃義山上人の住持を以て名あり。 |
J19_0223B29: | 光照院は松平伊豆守信吉の香花所なり。 |
J19_0223B30: | 又黑門の南に崇泰院あり。此地に元と親鸞聖人の廟 |
J19_0223B31: | 所ありしを、慶長恢弘の時鳥部野に移さしむ今西大谷と稱する |
J19_0223B32: | 是なり院の後に今尚ほ其跡を存す。又通照院の後方に |
J19_0223B33: | 光玄院あり。元和二年滿譽僧正の開基なり。此地に |
J19_0223B34: | 元と太子堂ありき。其後方櫻馬場に沿ひて樹昌菴、 |