ウィンドウを閉じる

J1420 和語灯録日講私記 義山・素中 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J09_0686A01: 必す來るが如し○十二丁邪業繫とは臨終には三惡趣の
J09_0686A02: 繩かそれそれの罪業を以てかかる也彼の大晦日の如
J09_0686A03: し○百苦とは諸の苦なり○三種の愛心とは總して欲
J09_0686A04: 界受生の人一人として起らさる者無し境界愛とは諸
J09_0686A05: 道具家屋敷及ひ妻子眷屬等に愛を起すなり故に臨終
J09_0686A06: には妻子等は餘り近付くべからす出家を請して置く
J09_0686A07: べきなり自體愛とは總して人間の命を惜ます死を怖
J09_0686A08: れさる者は智者愚者貴賤老若ともに無きこと也爾る
J09_0686A09: に世間に男だてがけんくわをなして死し或は心中し
J09_0686A10: て死ぬる者ありいつれも命を惜まぬと云こと無けれ
J09_0686A11: とも是等は皆無明の酒に醉ふて死ぬる也或は瞋恚の
J09_0686A12: 無明の酒或は愛着の無明の酒によりて本性を失する
J09_0686A13: 者也當生愛とは當來の愛也善惡の業に引かれて當來
J09_0686A14: に生れんとする處の相か見へ來るを喜ひてそこに愛
J09_0686A15: 着起りていさ往んと思ふ心の生するなり翼賛二十三之十五丁
J09_0686A16: 此三種の愛心は臨終の時必す起るなり○心に歡喜
J09_0686A17: をなしてとは佛の來迎を拜見する故に三種の愛心も
J09_0686B18: 忽に止んて正念に往生するなり常に云ふ來迎の上の
J09_0686B19: 正念歟正念の上の來迎歟と云ふ事あり此の語灯錄の
J09_0686B20: 末に元祖の委しき釋あり兎角に淨土宗の意は來迎の
J09_0686B21: 上の正念也爾るに感應の水澄まされはなと云は聖道
J09_0686B22: の意ならは可爾智度論に四禪比丘の因縁あり此の
J09_0686B23: 因縁を以て見れは正念の上の來迎なとと常常思ふ人
J09_0686B24: は臨終に邪見起る也或は又世間の人病に依て臨終の
J09_0686B25: 正念なる者も有るへし此の人思樣は我は正念なるか
J09_0686B26: 今に來迎無しと佛を疑ふ時は其の邪見にて忽に地獄
J09_0686B27: の來迎現するなり來迎以前に正念になる者あり是は
J09_0686B28: 先つ病品によつて正念なる者もあり又念佛者には軈
J09_0686B29: て佛の來迎し玉ふ故に其瑞相にて正念なる也喩へは
J09_0686B30: 日光出つる時は先つ世間を照す如き也爾れは是れも
J09_0686B31: 來迎の先相也必す必す正念の上の來迎とは思ふへか
J09_0686B32: らす來迎已前に正念になるもおさへて佛の來迎の先
J09_0686B33: 相有るか故なりと云也○又この經に具三心者等とは
J09_0686B34: 此の三心は淨土宗の肝心也南無阿彌陀佛の名號は不

ウィンドウを閉じる