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雨乞い念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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あまごいねんぶつ/雨乞い念仏

雨が降ることを願って修される念仏。日本の農業の主力は稲、とくに水稲であり、栽培には適切な時期における降水が重要な条件である。そのため、日本各地で広く雨乞いの儀礼が行われてきたが、特に降水量の少ない、あるいは灌漑施設の乏しい地域では極めて重要な意味を持つ行事であった。雨乞いの儀礼には多くの種類があり、おこもりやみそぎをする、神像や仏像開帳・出御する、神仏に供物や供犠を捧げる、神聖な池や滝に骨・糞尿・草木・石などを投入する、卜占ぼくせんや立願をする、遠隔地に参詣し神火・神水・札などを受けてくる、念仏読経や唱え事を唱える、火を焚いたり水を攪拌かくはんしたりする、神楽かぐら太鼓踊りなどの芸能を奉納する、などである。目的が達するまで一つの方法を繰り返し続ける所もあるが、一つの方法で効験こうげんがなければ、異なる方法で次々と行う場合が多い。雨乞いの特性は、個人祈願ではなく共同祈願であることであり、効がない場合には祈願の共同体の範囲を拡大し、より強力な組織によって目的を達しようとする傾向が強い。雨乞い念仏は、浄土宗寺院においても全国各地で行われてきた。福岡県宮若市の浄久寺では、旱魃かんばつの際にはまず裏山の滝の竜神のほこらの側に供物を供え、滝壺からの流れの上に棚を設ける。はじめに住職祈願とお籠りを行い、その後村人も参加し五日ないし一週間のお籠りが行われた。設けた棚の上で村人二、三〇人が円座になり、長老百万遍念仏導師となり双盤を打つ。住職が竜神の祠の前で読経をしている間に、村人は百万遍念珠を繰りながら伏鉦ふせがねに合わせ念仏を称えたという。熊本県天草市の遣迎寺の場合は、まず村の神社で五日ないし一週間の祈願が行われ、それでも効がない場合には寺で住職と村人が一緒になり一週間ないし二週間にわたって百万遍念仏が行われた。それでもまだ効がない場合には、海岸において安珍・清姫の狂言が行われ、その狂言で使用された鐘と大蛇(竜)の模型を雨が降るまで海につけておいたという。長野県諏訪市豊田の極楽寺の場合は、村中の老人が寺に集まり吞龍の絵像の前で念仏を称え雨を祈った。これは幕末の頃、村がひどい旱魃に見舞われた際、極楽寺住職である忍誉が吞龍の絵像を描き、その前で念仏を称えて雨を祈ったことに由来するという。


【参考】高谷重夫『雨乞習俗の研究』(法政大学出版局、一九八二)、佛教大学民間念仏研究会編『民間念仏信仰の研究 資料編』(隆文館、一九六六)


【参照項目】➡雨乞い吞龍


【執筆者:名和清隆】