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随逐影護

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ずいちくようご/随逐影護

仏・菩薩が、影の形にそうようにして、浄土に生まれたいと願う者や念仏者をつねにかばい、まもることをいう。道綽は『安楽集』第一二大門において『十往生経』を経証として「我れ今日より常に二十五の菩薩をして是の人を護持せしめ、常に是の人をして無病無悩ならしめ、若しは人、若しは非人その便りを得ず、行住坐臥昼夜を問うこと無く常に安穏なる事を得ん」(浄全一・七一〇上)といい、また善導は『往生礼讃』後序において阿弥陀仏称念礼観する者の現世において受ける功徳として、『十往生経』『観経』『阿弥陀経』等にもとづき「彼の仏、即ち無数の化仏、無数の化観音勢至菩薩つかわして行者護念せしめ、復た前の二十五菩薩等と百重千重に行者囲繞いにょうして、行住坐臥一切の時処若しは昼若しは夜を問わず常に行者を離れたまわず」(浄全四・三七五下~六上)といい、さらに『観念法門』(浄全四・二二八下)において『観経』『十往生経』『般舟三昧経』『灌頂経』三『浄度三昧経』によって、それぞれこの義をたてている。『観経』の第一二普想観に説く無量寿仏の無数の化身と観音勢至二菩薩が常にこの行者の所に来至することを現証護念増上縁とし、また流通分に説く二大士を観音勢至二菩薩随逐影護とし、第九真身観に説く光明のすべてが衆生を遍く照し、かつ念仏者を摂護するとし『阿弥陀経』に一切諸仏が護念するという経説を、念仏行者六方諸仏によって摂護されるとしている。法然はこれらの善導の所説に基づき『浄土宗略抄』に「本願を深く信じて、念仏して往生を願う人をば、弥陀仏より始めたてまつりて、十方の諸仏菩薩、観音勢至無数の菩薩、この人を囲繞して行住坐臥夜昼をも嫌わず影のごとくに添いて、諸の横悩をなす悪鬼悪神の便を祓い除きたまいて、現世には横様なるわずらいなく安穏にして、命終の時は極楽世界へ迎えたまうなり」(聖典四・三六七/昭法全六〇四)と述べている。


【参考】藤堂恭俊「シナ浄土教における随逐擁護説の成立過程について」(『塚本博士頌寿記念仏教史学論集』、一九六一)


【執筆者:金子寛哉】