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随波

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ずいは/随波

永禄六年(一五六三)—寛永一二年(一六三五)九月一〇日。了蓮社定誉向西。増上寺一八世。生国は筑前国糟屋。氏姓は藤原氏。郷里の長徳寺で出家し諸国遊学。幡随意に師事、随流から円頓戒を受け、存応のもとで修学。館林善導寺五世に就任するが再び諸国を遊学し、江戸小塚原誓願寺の再興、駒込常泉寺・小石川玄覚寺の創建など精力的に布教活動を行う。寛永二年(一六二五)小石川伝通院二世、同一一年増上寺一八世に就任。徳川家光の信任厚く御前法問を修した。廃絶していた子院の北谷瑞花院を再興した。


【資料】『三縁山志』(浄全一九)


【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)


【執筆者:中野真理子】