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阿闍世コンプレックス

提供: 新纂浄土宗大辞典

あじゃせコンプレックス/阿闍世コンプレックス

阿闍世コンプレックス(Ajase Complex)は古沢平作こざわへいさく(一八九七—一九六八)が提唱し、小此木啓吾おこのぎけいご(一九三〇—二〇〇三)によって流布された精神分析上の概念。アジャセコンプレックスとも表記する。阿闍世(ⓈAjātaśatru)は未生怨みしょうおん、すなわち出生以前に母親が抱く葛藤(不安や怨みなど)を意味する。精神分析の創始者であるS・フロイトが父子関係に着目したエディプスコンプレックスを提唱したのに対し、古沢は母子関係に着目した点に大きな相違がある。フロイトによると、人間が持つ罪意識とは象徴的な意味での父殺しおよび近親相姦を行った後、それを悔いることによって形成される。これに対し古沢は「あくなき子どもの〈殺人的傾向〉が〈親の自己犠牲〉に〈とろかされて〉初めて子どもに罪悪意識の生じたる状態」になると言うように、罪を犯した人間に対する許しと、それによってその人間が感じる許されたという体験・・・・・・・・・が罪意識を形成すると主張した。古沢説では、罪を犯したことによって罰を恐れる罪悪感と、罪を許されることによって生じる自発的な懺悔心を区別した点に特徴がある。また、エディプスコンプレックスは父子の間の葛藤を中心としているため父性重視の傾向を持っているが、古沢の阿闍世コンプレックスは母性重視の傾向を持つ。古沢の後を受けた小此木は、母子関係における精神的葛藤が子どもの人格形成に大きな影響を与えるとした。そこで臨床時における分析理論として古沢の阿闍世コンプレックス論を独自に発展させた。小此木によると、安定的な人格形成に到るまでは、①理想的な母との一体感、②母の裏切りによる母子の分離、③怨みを超えた母子の許し合い、という三つの心理段階を経るとし、母子関係に着目した臨床の重要性を主張している。また、阿闍世コンプレックスの逸話内に出てくる韋提希夫人が仙人殺害を主導したという記述は、古沢の創作であることが小此木によって指摘されていたが、岩田文昭の研究により、古沢の阿闍世物語は明治時代の浄土真宗の僧近角常観の影響を受けていることが明らかにされている。


【参考】古沢平作「罪悪意識の二種—阿闍世コンプレックス—」(『精神分析研究』一—四、一九五四)、小此木啓吾・北山修編『阿闍世コンプレックス』(創元社、二〇〇一)、岩田文昭「阿闍世コンプレックスと近角常観」(『臨床精神医学』三八—七、二〇〇九)


【参照項目】➡阿闍世宗教心理学


【執筆者:江島尚俊】