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[[阿弥陀仏]]とその[[脇侍]]である[[観世音菩薩]]・大[[勢至菩薩]]のこと。[[三部経]]中には『[[無量寿経]]』と『[[観経]]』にこの[[三尊]]を併せて説く。『[[無量寿経]]』下では、観世音・大勢至の二[[菩薩]]の[[光明]]を最尊と位置づけ、この[[娑婆]][[世界]]で命終の後、[[阿弥陀仏]]国に転化したとする(聖典一・七九/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0021 浄全一・二一])。これらの点は、『[[無量寿如来会]]』、『[[荘厳]]経』、梵本、チベット訳の後期[[無量寿経]]に共通する。『[[大阿弥陀経]]』『[[平等覚経]]』の初期[[無量寿経]]では、[[阿弥陀仏]]国の諸[[菩薩]]の中で[[光明]][[智慧]]が最尊の両[[菩薩]]として蓋楼亘[[菩薩]]([[観世音菩薩]])と摩訶那鉢[[菩薩]](大[[勢至菩薩]])を挙げ、常に[[阿弥陀仏]]の左右に侍し、[[阿弥陀仏]]はこの二[[菩薩]]と[[三世]][[十方]]の事について論ずるという([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0120 浄全一・一二〇上]/八二上)。この二経は[[阿弥陀仏]]の[[入滅]]を説き、[[観世音菩薩]]は[[阿弥陀仏]]の[[入滅]]後にその[[国土]]で[[作仏]]し、その仏の[[入滅]]後にはさらに大[[勢至菩薩]]が[[作仏]]するとして、[[阿弥陀仏]]国における[[弥陀]]・観音・勢至間の教授の継承が説かれる([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0122 浄全一・一二二上]/八四上)。初期[[無量寿経]]に類似の説は『[[観世音菩薩]][[授記]]経』とその異訳にも見られる。すなわち、[[安楽]][[世界]]を如幻[[三昧]]を成就する場と位置づけ、そこに[[阿弥陀仏]]と観世音・得大勢(大勢至)の二[[菩薩]]がいるとする。[[往生]]した[[菩薩]]は、この二[[菩薩]]から如幻[[三昧]]を学び獲得するという([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V12.0353c.html 正蔵一二・三五三下〜]四上)。そして[[阿弥陀仏]][[入滅]]の後、[[観世音菩薩]]は[[作仏]]して普光[[功徳]]山王[[如来]]と号し、[[国土]]名は衆宝普集[[荘厳]]となる。さらに普光[[功徳]]山王[[如来]][[入滅]]の後、得大勢[[菩薩]]は[[作仏]]して善住[[功徳]]宝王[[如来]]と号す、として[[作仏]]後の[[仏名]]を示す([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V12.0357a.html 正蔵一二・三五七上]~中)。同様の[[弥陀]][[入滅]]・観音勢至[[補処]]の説は『[[悲華経]]』とその異訳にも見られる。[[無量寿仏]]の[[本生]]を<ruby>無諍念王<rt>むじょうねんおう</rt></ruby>とし、彼に千人の王子がいる中、第一王子が観世音、第[[二王]]子が得大勢とされる。[[無量寿仏]]の[[入滅]]後、[[観世音菩薩]]は遍出一切[[光明]][[功徳]]山王[[如来]]、得大勢[[菩薩]]は善住珍宝山王[[如来]]と[[次第]]して[[作仏]]するという([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V03.0176b.html 正蔵三・一七六中]、一八六上~下)。『[[観経]]』では、第七[[華座観]]に[[無量寿仏]]が空中に住立し、観世音・大勢至の二[[菩薩]]が左右に侍立したことを説き、第八[[像想観]]では、[[阿弥陀仏]]の左の[[蓮華]]に[[観世音菩薩]]、右の[[蓮華]]に大[[勢至菩薩]]の像があり、その[[三尊]]の尊像が[[極楽]]全土に満ち満ちていることをいう。さらに第十三[[雑想観]]では[[三尊]]の像について述べ、観世音と大勢至の違いは首相によって知られるとし、二[[菩薩]]は[[阿弥陀仏]]を助けて普く[[教化]]することをいう。この他、『<ruby>[[阿弥陀鼓音声王陀羅尼経]]<rt>あみだくおんじょうおうだらにきょう</rt></ruby>』に[[阿弥陀仏]]の左右に観世音・大勢至が侍立するという([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V12.0353a.html 正蔵一二・三五三上])。また、『<ruby>不空[[羂索]]神変[[真言]]経<rt>ふくうけんじゃくじんぺんしんごんきょう</rt></ruby>』など[[密教]]系の経典には、[[阿弥陀三尊]]の形式について説かれるものがある。[[三尊]]の位置づけについて、[[善導]]は『[[往生礼讃]]』に「[[観音菩薩]][[大慈悲]]」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J04_0372 浄全四・三七二下])、「[[勢至菩薩]]難思議…増長[[智慧]]超[[三界]]」(同)として、[[観世音菩薩]]に[[慈悲]]、大[[勢至菩薩]]に[[智慧]]を配する。また、『[[四十八巻伝]]』一三では、[[藤原宗貞]]が堂舎を建立し、[[本尊]]に[[阿弥陀仏]]、[[脇侍]]に観音・地蔵を安置し、[[法然]]に[[供養]]を望んだところ、[[法然]]は[[三尊]]を見て「この堂は、[[源空]]が[[供養]]すべき堂にあらず」(聖典六・一四七)として退出したという。願主は[[法然]]が[[勢至菩薩]]の[[垂迹]]であると聞き、[[地蔵菩薩]]を[[勢至菩薩]]に替えて安置したところ、[[法然]]は[[供養]]したという。
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[[阿弥陀仏]]とその[[脇侍]]である[[観世音菩薩]]・大[[勢至菩薩]]のこと。[[三部経]]中には『[[無量寿経]]』と『[[観経]]』にこの[[三尊]]を併せて説く。『[[無量寿経]]』下では、観世音・大勢至の二[[菩薩]]の[[光明]]を最尊と位置づけ、この[[娑婆]][[世界]]で命終の後、[[阿弥陀仏]]国に転化したとする(聖典一・七九/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0021 浄全一・二一])。これらの点は、『[[無量寿如来会]]』、『[[荘厳]]経』、梵本、チベット訳の後期[[無量寿経]]に共通する。『[[大阿弥陀経]]』『[[平等覚経]]』の初期[[無量寿経]]では、[[阿弥陀仏]]国の諸[[菩薩]]の中で[[光明]][[智慧]]が最尊の両[[菩薩]]として蓋楼亘[[菩薩]]([[観世音菩薩]])と摩訶那鉢[[菩薩]](大[[勢至菩薩]])を挙げ、常に[[阿弥陀仏]]の左右に侍し、[[阿弥陀仏]]はこの二[[菩薩]]と[[三世]][[十方]]の事について論ずるという([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0120 浄全一・一二〇上]/八二上)。この二経は[[阿弥陀仏]]の[[入滅]]を説き、[[観世音菩薩]]は[[阿弥陀仏]]の[[入滅]]後にその[[国土]]で[[作仏]]し、その仏の[[入滅]]後にはさらに大[[勢至菩薩]]が[[作仏]]するとして、[[阿弥陀仏]]国における[[弥陀]]・観音・勢至間の教授の継承が説かれる([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0122 浄全一・一二二上]/八四上)。初期[[無量寿経]]に類似の説は『[[観世音菩薩]][[授記]]経』とその異訳にも見られる。すなわち、[[安楽]][[世界]]を如幻[[三昧]]を成就する場と位置づけ、そこに[[阿弥陀仏]]と観世音・得大勢(大勢至)の二[[菩薩]]がいるとする。[[往生]]した[[菩薩]]は、この二[[菩薩]]から如幻[[三昧]]を学び獲得するという([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V12.0353c.html 正蔵一二・三五三下〜]四上)。そして[[阿弥陀仏]][[入滅]]の後、[[観世音菩薩]]は[[作仏]]して普光[[功徳]]山王[[如来]]と号し、[[国土]]名は衆宝普集[[荘厳]]となる。さらに普光[[功徳]]山王[[如来]][[入滅]]の後、得大勢[[菩薩]]は[[作仏]]して善住[[功徳]]宝王[[如来]]と号す、として[[作仏]]後の[[仏名]]を示す([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V12.0357a.html 正蔵一二・三五七上]~中)。同様の[[弥陀]][[入滅]]・観音勢至[[補処]]の説は『[[悲華経]]』とその異訳にも見られる。[[無量寿仏]]の[[本生]]を<ruby>無諍念王<rt>むじょうねんおう</rt></ruby>とし、彼に千人の王子がいる中、第一王子が観世音、第[[二王]]子が得大勢とされる。[[無量寿仏]]の[[入滅]]後、[[観世音菩薩]]は遍出一切[[光明]][[功徳]]山王[[如来]]、得大勢[[菩薩]]は善住珍宝山王[[如来]]と[[次第]]して[[作仏]]するという([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V03.0176b.html 正蔵三・一七六中]、一八六上~下)。『[[観経]]』では、第七[[華座観]]に[[無量寿仏]]が空中に住立し、観世音・大勢至の二[[菩薩]]が左右に侍立したことを説き、第八[[像想観]]では、[[阿弥陀仏]]の左の[[蓮華]]に[[観世音菩薩]]、右の[[蓮華]]に大[[勢至菩薩]]の像があり、その[[三尊]]の尊像が[[極楽]]全土に満ち満ちていることをいう。さらに第十三[[雑想観]]では[[三尊]]の像について述べ、観世音と大勢至の違いは首相によって知られるとし、二[[菩薩]]は[[阿弥陀仏]]を助けて普く[[教化]]することをいう。この他、『<ruby>[[阿弥陀鼓音声王陀羅尼経]]<rt>あみだくおんじょうおうだらにきょう</rt></ruby>』に[[阿弥陀仏]]の左右に観世音・大勢至が侍立するという([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V12.0353a.html 正蔵一二・三五三上])。また、『<ruby>不空[[羂索]]神変[[真言]]経<rt>ふくうけんじゃくじんぺんしんごんきょう</rt></ruby>』など[[密教]]系の経典には、[[阿弥陀三尊]]の形式について説かれるものがある。[[三尊]]の位置づけについて、[[善導]]は『[[往生礼讃]]』に「[[観音菩薩]][[大慈悲]]」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J04_0372 浄全四・三七二下])、「[[勢至菩薩]]難思議…増長[[智慧]]超[[三界]]」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J04_0372 同])として、[[観世音菩薩]]に[[慈悲]]、大[[勢至菩薩]]に[[智慧]]を配する。また、『[[四十八巻伝]]』一三では、[[藤原宗貞]]が堂舎を建立し、[[本尊]]に[[阿弥陀仏]]、[[脇侍]]に観音・地蔵を安置し、[[法然]]に[[供養]]を望んだところ、[[法然]]は[[三尊]]を見て「この堂は、[[源空]]が[[供養]]すべき堂にあらず」(聖典六・一四七)として退出したという。願主は[[法然]]が[[勢至菩薩]]の[[垂迹]]であると聞き、[[地蔵菩薩]]を[[勢至菩薩]]に替えて安置したところ、[[法然]]は[[供養]]したという。
 
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【参考】香川孝雄『浄土教の成立史的研究』(山喜房仏書林、一九九三)
 
【参考】香川孝雄『浄土教の成立史的研究』(山喜房仏書林、一九九三)

2018年9月16日 (日) 17:00時点における版

あみださんぞん/阿弥陀三尊

阿弥陀仏とその脇侍である観世音菩薩・大勢至菩薩のこと。三部経中には『無量寿経』と『観経』にこの三尊を併せて説く。『無量寿経』下では、観世音・大勢至の二菩薩光明を最尊と位置づけ、この娑婆世界で命終の後、阿弥陀仏国に転化したとする(聖典一・七九/浄全一・二一)。これらの点は、『無量寿如来会』、『荘厳経』、梵本、チベット訳の後期無量寿経に共通する。『大阿弥陀経』『平等覚経』の初期無量寿経では、阿弥陀仏国の諸菩薩の中で光明智慧が最尊の両菩薩として蓋楼亘菩薩観世音菩薩)と摩訶那鉢菩薩(大勢至菩薩)を挙げ、常に阿弥陀仏の左右に侍し、阿弥陀仏はこの二菩薩三世十方の事について論ずるという(浄全一・一二〇上/八二上)。この二経は阿弥陀仏入滅を説き、観世音菩薩阿弥陀仏入滅後にその国土作仏し、その仏の入滅後にはさらに大勢至菩薩作仏するとして、阿弥陀仏国における弥陀・観音・勢至間の教授の継承が説かれる(浄全一・一二二上/八四上)。初期無量寿経に類似の説は『観世音菩薩授記経』とその異訳にも見られる。すなわち、安楽世界を如幻三昧を成就する場と位置づけ、そこに阿弥陀仏と観世音・得大勢(大勢至)の二菩薩がいるとする。往生した菩薩は、この二菩薩から如幻三昧を学び獲得するという(正蔵一二・三五三下〜四上)。そして阿弥陀仏入滅の後、観世音菩薩作仏して普光功徳山王如来と号し、国土名は衆宝普集荘厳となる。さらに普光功徳山王如来入滅の後、得大勢菩薩作仏して善住功徳宝王如来と号す、として作仏後の仏名を示す(正蔵一二・三五七上~中)。同様の弥陀入滅・観音勢至補処の説は『悲華経』とその異訳にも見られる。無量寿仏本生無諍念王むじょうねんおうとし、彼に千人の王子がいる中、第一王子が観世音、第二王子が得大勢とされる。無量寿仏入滅後、観世音菩薩は遍出一切光明功徳山王如来、得大勢菩薩は善住珍宝山王如来次第して作仏するという(正蔵三・一七六中、一八六上~下)。『観経』では、第七華座観無量寿仏が空中に住立し、観世音・大勢至の二菩薩が左右に侍立したことを説き、第八像想観では、阿弥陀仏の左の蓮華観世音菩薩、右の蓮華に大勢至菩薩の像があり、その三尊の尊像が極楽全土に満ち満ちていることをいう。さらに第十三雑想観では三尊の像について述べ、観世音と大勢至の違いは首相によって知られるとし、二菩薩阿弥陀仏を助けて普く教化することをいう。この他、『阿弥陀鼓音声王陀羅尼経あみだくおんじょうおうだらにきょう』に阿弥陀仏の左右に観世音・大勢至が侍立するという(正蔵一二・三五三上)。また、『不空羂索神変真言ふくうけんじゃくじんぺんしんごんきょう』など密教系の経典には、阿弥陀三尊の形式について説かれるものがある。三尊の位置づけについて、善導は『往生礼讃』に「観音菩薩大慈悲」(浄全四・三七二下)、「勢至菩薩難思議…増長智慧三界」()として、観世音菩薩慈悲、大勢至菩薩智慧を配する。また、『四十八巻伝』一三では、藤原宗貞が堂舎を建立し、本尊阿弥陀仏脇侍に観音・地蔵を安置し、法然供養を望んだところ、法然三尊を見て「この堂は、源空供養すべき堂にあらず」(聖典六・一四七)として退出したという。願主は法然勢至菩薩垂迹であると聞き、地蔵菩薩勢至菩薩に替えて安置したところ、法然供養したという。


【参考】香川孝雄『浄土教の成立史的研究』(山喜房仏書林、一九九三)


【参照項目】➡阿弥陀三尊像


【執筆者:齊藤舜健】