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遣迎院

提供: 新纂浄土宗大辞典

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けんごういん/遣迎院

京都府北区鷹峯光悦町。浄土真宗遣迎院派。寺伝によると正治元年(一一九九)に九条道家を願主として、法性寺内に証空開山に招き創建されたと伝えられる。遣迎院はのち天台・真言・律・浄土など四宗兼学の道場として貴顕の信仰を集めるが、江戸時代以降は転廃を繰り返し、現在は京都市北区鷹峯に浄土真宗遣迎院派の本山としてその法灯を伝える。本尊は阿弥陀釈迦迎接二尊像(国重要文化財)で、鎌倉時代の仏師快慶の作。阿弥陀像の胎内には七二紙からなる結縁交名けちえんきょうみょう印仏、毛髪、消息断簡などが納められ、その記事より建久五年(一一九四)頃、本像造像のために畿内を中心とした地域で結縁勧進が行われたことが知られる。結縁交名は一万二千名にのぼり、平清盛、重盛、知盛、重衡、源義仲、義経、行家、九条良通など保元の乱より治承の乱に関係した物故者の名が多く見えることから、この造像の背景に源平の争乱が深く関係していることがわかる。また重源栄西明遍鑁阿ばんななど当代を代表する南都東大寺系の勧進聖、慈円顕真信空などの天台の僧綱の名が見えることから鎌倉時代初期の結縁信仰の様子を知ることができる。また大阪・一心寺に伝来する「一行一筆般若心経阿弥陀経」の執筆者と遣迎院像の交名には多くの類似点が見いだされ、近似した結縁勧進の場において制作されたものと考えられる。


【資料】『西山上人縁起』(『国文東方仏教叢書』一)


【参考】青木淳『遣迎院阿弥陀如来像像内納入品資料』(『日文研叢書』一九、一九九九)


【参照項目】➡一行一筆阿弥陀経・般若心経


【執筆者:青木淳】