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覚超

提供: 新纂浄土宗大辞典

かくちょう/覚超

—長元七年(一〇三四)。七五歳没とされるが、七三歳説、八五歳説もあり生年は不明。台密十三流のうち川流の祖であり、兜率僧都とも呼ばれる。摂津国住吉県有武の子、あるいは和泉国巨勢氏の出か。父母が住吉大明神に祈り、霊夢を感じ生まれたという。一三歳のときに両親を亡くし、供養のために『法華経』を読誦していた。それを知った源信に伴われ比叡山に登り、天元年間(九七八—九八三)に得度する。天台教学を源信に学び、秘密灌頂を慶円より受け、兜率院に住し、晩年には横川首楞厳しゅりょうごん院に隠棲した。二十五三昧会発起人の一人として連署し、源信没後には過去帳を記すなど、中心的な役割を果たしていたとも言われる。長元二年(一〇二九)皇后の安産祈願を修して験あったことにより、権僧都に任ぜられる。常に月輪がちりんかんを修し、また一生中の念仏の数は二〇俱胝くてい(二億)遍にも達したという。著作も数多く、『東西曼荼羅鈔』『胎蔵三密鈔』等の密教文献だけでなく『往生極楽問答』『私念仏作法』『修善講式』などの浄土教文献もある。


【資料】『続本朝往生伝』(『日本思想大系』七)、『四十八巻伝』六


【参考】赤松俊秀「藤原時代浄土教と覚超」(『続鎌倉仏教の研究』平楽寺書店、一九六七)、喜多義英「覚超の修善講式とその浄土教」(佐藤哲英『叡山浄土教の研究』研究編、百華苑、一九七九)、小山昌純「覚超浄土教の再検討」(『仏教学研究』五七、二〇〇二)、『楞厳院廿五三昧結衆過去帳』(宮内庁書陵部『平安朝往生伝集』、一九七〇)


【参照項目】➡源信二十五三昧会


【執筆者:朝岡知宏】