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蓮如

提供: 新纂浄土宗大辞典

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れんにょ/蓮如

応永二二年(一四一五)—明応八年(一四九九)三月二五日。いみなは兼寿。院号は信証院という。浄土真宗本願寺八代宗主。七代宗主存如の長子。父より真宗教義を学び、近江・北陸の教化を助け、四三歳(長禄元年〔一四五七〕)で法灯を継承した。五一歳(寛正六年〔一四六五〕)のとき延暦寺衆徒大谷本願寺を破却した難を避けて近江に移り、教化につくす。五七歳(文明三年〔一四七一〕)で越前の吉崎に移り、ここで積極的な教化活動を行った。北陸をはじめ、東海、奥州より、吉崎の坊舎に人びとが集ったと言われる。加賀では、領主や在地武士との間に争いが生じ、一部の本願寺門徒もこの争いにまきこまれる事態となったため、同七年吉崎を退去した。その後、畿内の各地で教化活動につくし、同一三年山科に本願寺を再興した。延徳元年(一四八九)寺務を実如に譲り隠居。独創的な文書活動(御文おふみ)で多くの人びとに影響を与えた。親鸞やその流れを継承する覚如(三代目宗主)や存覚覚如の長男)の教義を継承し、本願寺教団の発展につくしたので、中興の祖と讃えられている。その言行は『蓮如上人御一代記聞書』にまとめられている。『御文章』は五帖(八〇通)にまとめられ、その他帖外一三九通が伝えられている(真聖全五所収)。著書には『御文章』の他に『正信偈大意』などがある。


【執筆者:浅井成海】