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「菩提分法」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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覚りを開くための助けとなる法のこと。原語はⓈbodhipakṣyāḥなど。[[菩提]]助法や覚分ともいわれる。[[菩提分法]]としては、[[四念住]]・[[四正断]]・[[四神足]]・[[五根]]・[[五力]]・[[七覚支]]・[[八正道]]が説かれ、これらの総数から[[三十七菩提分法]]、三十七<ruby>道品<rt>どうぼん</rt></ruby>、[[三十七覚支]]などともいわれる。『[[俱舎論]]』では「道をまた名づけて[[菩提分法]]と為す」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V29.0132a.html 正蔵二九・一三二上])と述べる。道とは[[涅槃]]へ導く路のことであり、[[菩提分法]]もその実践によって[[涅槃]]を得ることが可能となる。さらに「三十七の法は[[菩提]]に順趣す。是の故に、皆、[[菩提分法]]と名づく」(同・一三二中)と述べ、これらの三七法が[[菩提]]に順ずる法であるから、[[菩提分法]]と呼ばれることを明かす。つまり[[菩提分法]]の実践とは、これら三七の法を実践することであり、それによって[[菩提]]を得ることが可能となる。また『[[阿弥陀経]]』には「[[五根]]・[[五力]]・七[[菩提]]分・八[[聖道]]分、かくのごとき等の法」(聖典一・三一七/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0053 浄全一・五三])とあるが、これは三十七[[菩提]]分のことであり、[[四念住]]・[[四正断]]・[[四神足]]は省略されたものとされる。さらに基などは経文中の「等」がそれを示すと釈している。
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覚りを開くための助けとなる法のこと。原語はⓈbodhipakṣyāḥなど。[[菩提]]助法や覚分ともいわれる。[[菩提分法]]としては、[[四念住]]・[[四正断]]・[[四神足]]・[[五根]]・[[五力]]・[[七覚支]]・[[八正道]]が説かれ、これらの総数から[[三十七菩提分法]]、三十七<ruby>道品<rt>どうぼん</rt></ruby>、[[三十七覚支]]などともいわれる。『[[俱舎論]]』では「道をまた名づけて[[菩提分法]]と為す」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V29.0132a.html 正蔵二九・一三二上])と述べる。道とは[[涅槃]]へ導く路のことであり、[[菩提分法]]もその実践によって[[涅槃]]を得ることが可能となる。さらに「三十七の法は[[菩提]]に順趣す。是の故に、皆、[[菩提分法]]と名づく」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V29.0132b.html 同・一三二中])と述べ、これらの三七法が[[菩提]]に順ずる法であるから、[[菩提分法]]と呼ばれることを明かす。つまり[[菩提分法]]の実践とは、これら三七の法を実践することであり、それによって[[菩提]]を得ることが可能となる。また『[[阿弥陀経]]』には「[[五根]]・[[五力]]・七[[菩提]]分・八[[聖道]]分、かくのごとき等の法」(聖典一・三一七/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0053 浄全一・五三])とあるが、これは三十七[[菩提]]分のことであり、[[四念住]]・[[四正断]]・[[四神足]]は省略されたものとされる。さらに基などは経文中の「等」がそれを示すと釈している。
 
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【資料】『瑜伽論』二八、『阿弥陀経通賛疏』中
 
【資料】『瑜伽論』二八、『阿弥陀経通賛疏』中
 
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【執筆者:石田一裕】
 
【執筆者:石田一裕】

2018年9月17日 (月) 10:09時点における版

ぼだいぶんぽう/菩提分法

覚りを開くための助けとなる法のこと。原語はⓈbodhipakṣyāḥなど。菩提助法や覚分ともいわれる。菩提分法としては、四念住四正断四神足五根五力七覚支八正道が説かれ、これらの総数から三十七菩提分法、三十七道品どうぼん三十七覚支などともいわれる。『俱舎論』では「道をまた名づけて菩提分法と為す」(正蔵二九・一三二上)と述べる。道とは涅槃へ導く路のことであり、菩提分法もその実践によって涅槃を得ることが可能となる。さらに「三十七の法は菩提に順趣す。是の故に、皆、菩提分法と名づく」(同・一三二中)と述べ、これらの三七法が菩提に順ずる法であるから、菩提分法と呼ばれることを明かす。つまり菩提分法の実践とは、これら三七の法を実践することであり、それによって菩提を得ることが可能となる。また『阿弥陀経』には「五根五力・七菩提分・八聖道分、かくのごとき等の法」(聖典一・三一七/浄全一・五三)とあるが、これは三十七菩提分のことであり、四念住四正断四神足は省略されたものとされる。さらに基などは経文中の「等」がそれを示すと釈している。


【資料】『瑜伽論』二八、『阿弥陀経通賛疏』中


【執筆者:石田一裕】