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「祇園精舎」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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インド、ウッタルプラデーシュ州シュラーヴァスティ県にあった[[仏教]]僧院。ⓈJetavana AnāthapiṇḍadasyārāmaⓅJetavana Anāthapiṇḍikārāma。ラプティー(Raptī)河の南岸に位置するサーヴァッティー(舎衛城)の旧跡マヘート(Maheth)の南西八〇〇メートルにあるサヘート(Saheth)に比定され、東西五〇〇メートル、南北二〇〇メートルの楕円形に広がる遺跡の中に、僧院跡、ストゥーパが散在する。コーサラ国パセーナディ(Pasenadi)王の太子ジェータ(Jeta)の所有する園林にスダッタ(Sudatta)[[長者]]が、黄金を敷きつめてその地を買いとり、[[釈尊]]に寄進したことから、「ジェータの園林で、孤独な人々に食事を与える者の園(<ruby>[[祇樹給孤独園]]<rt>ぎじゅきっこどくおん</rt></ruby>)」の名がある。仏伝にちなむ数々の故事の舞台として知られ、その建立はバールフトの浮き彫りなど、多くの美術作品の題材となっている。「[[平家物語]]」の冒頭「[[祇園精舎]]の鐘の声」の祇園はここをいう。なお江戸時代にはカンボジアのアンコールワットが[[祇園精舎]]だと信じられていて、日本から参詣した事例がある。
[[File:ぎおんしょうじゃ【祇園精舎】.jpg|frame|[[祇園精舎]]跡]]
 
 
 
インド、ウッタルプラデーシュ州シュラーヴァスティ県にあった[[仏教]]僧院。ⓈJetavana AnāthapiṇḍadasyārāmaⓅJetavana Anāthapiṇḍikārāma。ラプティー(Raptī)河の南岸に位置するサーヴァッティー(舎衛城)の旧跡マヘート(Maheth)の南西八〇〇メートルにあるサヘート(Saheth)に比定され、東西五〇〇メートル、南北二〇〇メートルの楕円形に広がる遺跡の中に、僧院跡、ストゥーパが散在する。コーサラ国パセーナディ(Pasenadi)王の太子ジェータ(Jeta)の所有する園林にスダッタ(Sudatta)[[長者]]が、黄金を敷きつめてその地を買いとり、[[釈尊]]に寄進したことから、「ジェータの園林で、孤独な人々に食事を与える者の園(<ruby>[[祇樹給孤独園]]<rt>ぎじゅきっこどくおん</rt></ruby>)」の名がある。仏伝にちなむ数々の故事の舞台として知られ、その建立はバールフトの浮き彫りなど、多くの美術作品の題材となっている。「[[平家物語]]」の冒頭「[[祇園精舎]]の鐘の声」の祇園はここをいう。なお江戸時代にはカンボジアのアンコールワットが[[祇園精舎]]だと信じられていて、日本から参詣した事例がある。
 
 
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【参考】M. Venkataramayya ''Śrāvasti.''(インド考古局、一九五六)
 
【参考】M. Venkataramayya ''Śrāvasti.''(インド考古局、一九五六)
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【執筆者:佐藤良純】
 
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[[File:ぎおんしょうじゃ【祇園精舎】.jpg|thumb|left|upright=2.5|[[祇園精舎]]跡]]

2018年9月17日 (月) 01:17時点における最新版

ぎおんしょうじゃ/祇園精舎

インド、ウッタルプラデーシュ州シュラーヴァスティ県にあった仏教僧院。ⓈJetavana AnāthapiṇḍadasyārāmaⓅJetavana Anāthapiṇḍikārāma。ラプティー(Raptī)河の南岸に位置するサーヴァッティー(舎衛城)の旧跡マヘート(Maheth)の南西八〇〇メートルにあるサヘート(Saheth)に比定され、東西五〇〇メートル、南北二〇〇メートルの楕円形に広がる遺跡の中に、僧院跡、ストゥーパが散在する。コーサラ国パセーナディ(Pasenadi)王の太子ジェータ(Jeta)の所有する園林にスダッタ(Sudatta)長者が、黄金を敷きつめてその地を買いとり、釈尊に寄進したことから、「ジェータの園林で、孤独な人々に食事を与える者の園(祇樹給孤独園ぎじゅきっこどくおん)」の名がある。仏伝にちなむ数々の故事の舞台として知られ、その建立はバールフトの浮き彫りなど、多くの美術作品の題材となっている。「平家物語」の冒頭「祇園精舎の鐘の声」の祇園はここをいう。なお江戸時代にはカンボジアのアンコールワットが祇園精舎だと信じられていて、日本から参詣した事例がある。


【参考】M. Venkataramayya Śrāvasti.(インド考古局、一九五六)


【参照項目】➡給孤独


【執筆者:佐藤良純】