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知らぬが仏、見ぬは極楽

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しらぬがほとけ、みぬはごくらく/知らぬが仏、見ぬは極楽

真実のありさまを知ってしまったり、見てしまうと、苦しみや悩みも起こり、腹の立つこともあるが、知らない、見ないでいれば腹も立たず、憎んだり、怨んだり、心の乱れることはない、ということを譬えた言葉。知らなかったり、見ないことにより、おだやかな仏のような心、やすらかな極楽浄土のような境涯・境地に落ち着いていられることもある。知らない、見ないということが、すべての煩悩の汚れから解脱し、悟り世界に安穏円満にくつろぐ仏の境地そのものであるという。実際、中途半端に事情を知ってしまったり、見てしまうと、地獄の鬼のように腹を立て、怒り苦しむことになるものであるが、逆に知らないことや、見ないでいることが幸いして、いつまでも平気で過ごせることがある。


【執筆者:勝崎裕彦】