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真性

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しんしょう/真性

仁安二年(一一六七)—寛喜二年(一二三〇)六月一四日。元久の法難時の天台座主。以仁王もちひとおう(後白河院皇子)の子で城興寺宮・宮僧正といわれた。契中より穴太あのう流の灌頂を、のち慈円三昧流の灌頂を受け青蓮院門主となる。建仁三年(一二〇三)天台座主。在任中に元久の法難がおこり、山門衆徒専修念仏停止ちょうじ真性に訴えた。これにどう対処したかは不明だが、法然は『七箇条制誡』で門弟を誡め、「送山門起請文」で天台宗に異心ないと弁明しており、このことから法然側に自粛や説明を求めたと考えられる。元久二年(一二〇五)山上火災の責任で座主辞任。承元二年(一二〇八)四天王寺別当。のち慈円との不和で青蓮院を離れる。


【資料】『天台座主記』


【参照項目】➡七箇条制誡送山門起請文元久の法難


【執筆者:善裕昭】