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法滅

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ほうめつ/法滅

釈尊の教えである仏法が滅んでしまうこと。一般に末法以後に起こるとされる。中国では『大集経だいじっきょう月蔵分がつぞうぶん、『法滅尽経』『十輪経』『仏蔵経』などの訳出や『像法決疑経』『浄度三昧経』などの中国撰述経典の成立によって法滅思想が醸成されてゆき、やがて三時説といって釈尊入滅を基点にして、正法像法末法の三段階の時代を経るごとに仏教の教え(正法)が次第に滅してゆくという思想が成立した。その背景には、隋代以前の中国が南北朝に分断された群雄割拠の時代で、度重なる戦乱や飢饉によって社会が荒廃しており、さらに建徳三年(五七四)、北周の武帝による破仏が起こったことがあり、これによって末法世の到来と法滅の危機が人々に強く実感された。そのような時代下で、霊裕は破仏の後に河南省の宝山に石窟を開き、『法華経』『勝鬘経』『涅槃経』などの経文を刻み込んで法滅の危機に備えた。また大業元年(六〇五)、静琬じょうえんによって始められた房山石窟の石経事業は遼・金・元代まで長きにわたって継続された。このような法滅の危機意識が民衆に浸透してゆくなかで、時機相応仏教として浄土教三階教が勃興してゆく。『無量寿経』の流通分には「当来の世、経道滅尽せんに、我れ慈悲をもって哀愍して、ひとりこの経を留めて、止住すること百歳ならん」(聖典一・二八五/浄全一・三六)とあり、法滅後の時期に入ってもこの経典だけは一〇〇年もの間残存して衆生救済するという。善導は『往生礼讃』に「万年に三宝滅すれども此の経住すること百年ならん」(浄全四・三六二下)と述べて、このような末法世における浄土教の特勝性を重視する。法然は『一紙小消息』に「時下れりとて疑うべからず、法滅以後の衆生なお往生すべし、いわんや近ごろをや」(聖典四・四二〇/昭法全四九九)と、他の仏法が滅んでしまったとしても、浄土教だけはその教えが残り続けて往生がかなうのだから、決して念仏の教えを疑ってはならないと強調している。


【参考】西本照真『三階教の研究』(春秋社、一九九八)


【参照項目】➡三宝滅尽経道滅尽


【執筆者:工藤量導】


現在の法が、過去に滅し去ること。ここでの法とは、現象を構成する要素である有為法のこと。この法は未来から現在に生起し、一刹那の間、現在にとどまる。そして、次の刹那に過去に滅し去っていく。この法が滅し去っていくことが法滅であり、説一切有部が支持した考えである。一方、空思想を説いた龍樹はこのような考えを批判し、あらゆる法の不生不滅を説く。


【参照項目】➡三世実有・法体恒有無常


【執筆者:石田一裕】