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法問

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ほうもん/法問

浄土宗義に関する問題を提出し、質疑応答すること。法門とも書き、論義、談義ともいう。江戸時代に盛んに行われ、特に檀林においては所化の学識能力を図る試験として重視された。法問には臨時と定期の二種類があった。臨時の法問は、随時開設されるもので、人数や形式は特に定まっていない。これには城中(営中)と報謝の二つがあった。城中法問は、将軍家の要請に応じて行われるもので、檀林能化が多くの所化を率いて将軍の面前で行うものである。徳川家康が駿府城や江戸城、二条城あるいは旅先のおし城に存応を招いて法問を行ったことは有名。その後、三代家光の代には中絶したが、五代綱吉は元禄四年(一六九一)に再開した。綱吉は了也を招いてたびたび江戸城で法問を聴聞したが、六代家宣の頃から次第に行われなくなった。報謝法問は、徳川氏年忌・祥月忌等に追善のために行われるものである。主として正月・五月・九月の二四日の台徳院(二代秀忠)忌に行われる。定期法問は、檀林において毎年定まった月日に開設されるのが建前で、問題の数や内容にも一定の形式があった。定期法問には上読うわよみ下読したよみの二種類があった。上読法問は、客殿法問とも呼ばれ、増上寺のみで行われる。能化が自ら論主となって、月行事はじめ三席(一文字・扇間・縁輪)一五〇僧に対する学解試験で、浄土宗義および他宗義中の難問を出題する。所化はそれに対して経論釈を引用して解答する。問題は一夏中に一〇問出題される。下読法問は、名目みょうもく頌義じゅぎ部所属の初学者を対象とする初級試験に相当し、月行事法問主となって行われる啓蒙的な法問である。その席には能化以下三席の僧も参列して論議を監視することから、月行事に対する一種の試験でもあった。毎年三・五・九・一一月の四回行われ、二二問が出題された。三・九月は半夏と呼ばれ五題ずつ、五・一一月は本夏と称して六題ずつ出題されたが、宝暦以降は二、三題出題される形だけのものとなったという。また、下読の前には論講と称して事前に稽古するようになった。


【資料】『三縁山志』七(浄全一九)


【参考】『大本山増上寺史』(大本山増上寺、一九九九)、玉山成元『普光観智国師』(白帝社、一九七〇)、大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)


【参照項目】➡上読法問下読法問


【執筆者:𠮷水成正】