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曇遷

提供: 新纂浄土宗大辞典

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どんせん/曇遷

東魏・興和四年(五四二)—隋・大業三年(六〇七)。隋代の摂論師。饒陽(河北省)の人。二一歳で曇静について出家し、『勝鬘経』を学び、具足戒を受ける。後に鄴都で曇遵に学ぶ。後に林慮山に隠棲し『華厳経』『維摩経』『楞伽経』『地持経』『起信論』等を研究する。北周の廃仏をうけ三六歳で建康に逃れ、道場寺で唯識を研鑽。桂州刺史蒋君宅で真諦訳『摂大乗論釈』を得て、その弘宣を決意する。隋が興ると彭城の慕聖寺、建康の開善寺で『摂大乗論』を開講。開皇七年(五八七)勅により長安に入り、大興善寺に住して『摂大乗論』の普及に努める。曇遷等が真諦訳『摂大乗論釈』を伝播したことで、北地の唯識研究の中心は『十地経論』から『摂大乗論』へ移行した。著書に『摂大乗論』『楞伽経』『起信論』等の疏があったというが現存しない。


【資料】『続高僧伝』一八


【参照項目】➡摂論宗


【執筆者:吉村誠】