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曇延

提供: 新纂浄土宗大辞典

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どんえん/曇延

北魏・熙平元年(五一六)—隋・開皇八年(五八八)。北周・隋初の涅槃師。蒲州(山西省)の人。一六歳で僧妙の『涅槃経』の講義を聴いて出家。後に『華厳経』『大智度論』『十地経論』『地持経』『仏性論』『宝性論』等を学び、太行山に隠棲して『涅槃経義疏』を撰述。内容が正理に合わないことを恐れ、舎利塔の前で誓願を立てると、『義疏』は光明を放ったという。その内容は浄影寺慧遠の『涅槃義記』に勝ると評された。北周の武帝の帰依を受けたが、廃仏のときは太行山に隠れた。隋が興ると文帝に厚遇され、勅により延法師衆が立てられ、開皇四年(五八四)には延興寺等を賜った。弟子に童真・玄琬・法常等がいる。著書に『涅槃経義疏』(断片が現存)『大乗起信論疏』(上巻が現存)がある。


【資料】『続高僧伝』八


【執筆者:吉村誠】