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「智顗」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:29時点における最新版

ちぎ/智顗

梁・大同四年(五三八)—隋・開皇一七年(五九七)一一月二四日。俗姓は陳氏、あざなは徳安。智者大師、天台大師と称され、中国天台の史伝書『釈門正統』『仏祖統紀』はいずれも、龍樹・慧文・慧思につづき、智顗を天台の四祖としたが、中国天台の実質的な開祖、または日本天台の高祖とも仰がれている。荊州華容県(現・湖南省華容県、一説に現・湖北省監利県西北、潜江市西南)に生まれ、一八歳で出家。二三歳で大蘇山において南岳慧思に出逢い、四安楽行の指導を受け、法華三昧の前方便の開悟を得た。三九歳で、天台山の華頂峰で法華の大悟を得て、これらの実践に基づき天台三大部を講説し、天台教学の体系がようやく結実した。開皇一七年一〇月一七日、病状が悪化した智顗は、西に面して臥せ、阿弥陀仏般若波羅蜜、観音の名を称えて臨終に備えた。一一月二一日、諸僧に『無量寿経』を読誦させた智顗は、「四十八願もて浄土荘厳す、華池宝樹には往き易くして人なし。火車の相現ずるもよく改悔せば、往生す。況や戒慧熏修をや」(正蔵五〇・一九六上)と、『無量寿経』を大いに賛歎し、必ず極楽国土往生できるとの自信を示した。著書は『法華玄義』『法華文句もんぐ』『摩訶止観』のいわゆる天台三大部はじめ数十部にのぼり、著作とされたものの中で、浄土教に関する著書は、『十疑論』『阿弥陀経義記』『観経疏』『五方便念仏門』などである。これら書物の真偽については古くから論じられたものの、中国天台の遵式浄土教智旭、日本天台の最澄源信などの諸師が、これらの著作から天台浄土思想の影響を受けたことは事実である。


【資料】『天台大師別伝』(正蔵五〇)


【参考】山口光円『天台浄土教史』(法蔵館、一九六七)、池田魯参『詳解摩訶止観・研究注釈篇』(大蔵出版、一九九七)


【参照項目】➡五時八教


【執筆者:林鳴宇】