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宗真

提供: 新纂浄土宗大辞典

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そうしん/宗真

—永正一五年(一五一八)一二月二九日。生年は不明。ただし世寿は八〇歳には達していたという。厳誉。俗名は結城孫左衛門祐広。下野国に生まれる。出身地を丹後国とする説もある。当初将軍足利義政に仕えており、三二歳のとき発心して近江国金勝山浄厳房の尭誉隆阿弟子となった。文明五年(一四七三)佐々木高頼の外護により隆阿の師隆尭ゆかりの金勝東坂草庵の地に阿弥陀寺を創建した。応仁の乱後の知恩院御影堂法然像造立にあたり勧進を行い、同一六年に完成した。同一八年四月一五日に不断念仏六時常行を修し、同年九月には開山忌を勤めている。また、後土御門天皇から黒衣参内特勅の綸旨りんじをうけ、長享二年(一四八八)には阿弥陀仏および念仏弘通綸旨浄厳宗の号、宸翰しんかん阿弥陀寺額および香合を下賜されている。のちに阿弥陀寺門弟末寺が増えたため明応元年(一四九二)九月に『阿弥陀寺清規しんぎ』を制定している。


【資料】『総系譜』上(浄全一九)、『蓮門精舎旧詞』二四(続浄一八)、『湖東三僧伝』(浄全一七)、『翼賛』三七(浄全一六)


【参照項目】➡阿弥陀寺清規


【執筆者:笠島崇信】