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大興善寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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だいこうぜんじ/大興善寺

中国陝西省西安市に現存する寺。隋の文帝が開皇二年(五八二)に大興城(唐の長安城)を建設したとき遵善坊(後に靖善坊と改名)に建立した。「大興」は都城名、「善」は坊名の一字をとったという。靖善坊のほぼ全域を占める巨刹で、「国寺」とも呼ばれ隋初の国家仏教の中心寺院であった。当初寺僧の定員は一二〇名であったとされるが、そのうち居住の僧六〇名が知られている。創建当初には、文帝と親交が深かった昭玄維那ついな仏教界の次官)の霊蔵(五一九—五八六)が寺主となり、隋国大統(仏教界の長官)の僧猛(五〇七—五八八)も居住し、ついで曇遷どんせん、僧休、霊祐、彦琮げんそうなどの名僧が住し諸種の教学研究が栄え、また那連提黎耶舎なれんだいりやしゃ闍那崛多じゃなくったなど外国僧も起居して訳経事業も盛んであった。唐の玄宗のとき、不空が大興善寺に入り密教経典の翻訳と国家安泰祈願に活躍。唐以降も存続したが往年の盛況はなく、明の永楽年間に、そして清朝にも重建されたという。


【参考】山崎宏「隋の大興善寺」(『隋唐仏教史の研究』法蔵館、一九六七)、小野勝年『中国隋唐長安・寺院史料集成』(同、一九八九)


【執筆者:佐藤成順】