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「在阿」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:24時点における最新版

ざいあ/在阿

三世紀中頃、生没年不明。良忠帰依したとされる天台僧。鏑木かぶらぎ胤定と比定される(『然阿上人伝』)。聖光の『授手印』を読んで浄土門帰依し、『念仏名義集』をもとに念仏修行につとめた後、遠江とおとうみ蓮華寺禅勝房相模さがみ石川(神奈川県藤沢市)の渋谷道遍に会って良忠を紹介されたという。良忠は彼の招請などを得て下総しもうさに赴き、その求めに応じて、建長六年(一二五四)に『決疑鈔』、正嘉元年(一二五七)に『疑問抄』を撰述。なお在阿=胤定説については、弘安三年(一二八〇)に香取神社の遷宮宣下(『香取神社文書』)が「千葉介胤定」に下されており、それ以前の在阿を「天台僧」とするのは無理がある。鏑木姓は千葉上総介系の庶子家にみられ、宝治合戦(宝治元年〔一二四七〕)に宗家の秀胤以下は三浦氏に味方して一族ともに念仏を称え上総一宮(千葉県長生郡一宮町)で滅亡した。この経緯から在阿は宗家上総介一族の追善のため出家した庶子一族であった可能性が高い。


【資料】『然阿上人伝』(浄全九)、『香取神社文書』、『決疑鈔』(浄全七)、『疑問抄』(聖典五)


【執筆者:小此木輝之】