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因果

提供: 新纂浄土宗大辞典

いんが/因果

原因ⓈⓅhetuと結果ⓈⓅphalaを表す合成語。この合成語は一般には因と果の併称であるが、実際の解釈には、サーンキヤ哲学で説かれる、因の中にもともと果は内在していて後に出現するという「因中有果論」や、ヴァイシェーシカ哲学のように原因の中に結果がないとする「因中無果論」などがあり、それらに対応して理解される。仏教はもともと事物ものそのものを法(ダルマⓈdharmaⓅdhamma)と呼び、ダルマを事物にひそむ永遠不滅の根本的な本体(我)ではなく、って起こった(縁起した)というプロセスの結果あるべき姿としてあるがままに捉える(諸法無我)。したがって現実把握と苦からの解放のために、縁起した結果である事物の原因が問われるが、アビダルマでは因を直接的な原因、縁を間接的な原因(条件)として、六因・四縁・五果などといった分析が進んだ。また縁起の理解とともに、種から花が咲くような因果異時(時間的因果)、教室の中で先生と生徒が相互にその立場をつくりあうような因果同時(空間的因果)の二つの解釈がなされたが、修道的には業報輪廻説と結びつく時間的因果の方が重要になる。善因楽果・悪因苦果という因果応報の思想はそもそもバラモン教によってもたらされたが、それは現世の道徳・倫理を高め、人間の行為を規定するはたらきをもつ。仏教も徐々に輪廻思想を教義内に取り入れ、幾多の輪廻転生を経て悟りを得るという宗教へと展開した。鸚鵡おうむ経類とよばれる一連の経典では、因としての善悪の行為とその結果としての果報を具体的に述べるにいたる。また大乗仏教では、現世涅槃を得た釈尊の過去世の善行を模範とする行動が菩薩道として修行体系の中核をなすようになったために、過去から現在にいたる因果関係が現在から未来にいたる因果関係に時間移動され、われわれが未来に得る果のために現在の因なる行動が重要視される。すなわち、修行という因によって悟りという果を得ることになる。これを酬因感果しゅういんかんか(修因得果、修因感果)といい、浄土教では特に、阿弥陀仏法蔵菩薩であったときの修行に酬いて仏となったことをいう。


【参照項目】➡因果応報酬因感果


【執筆者:吹田隆道】