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和光同塵

提供: 新纂浄土宗大辞典

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わこうどうじん/和光同塵

「光を和らげて塵に同ずる」の意。この語はもともと老子の『道徳経』(『諸子集成』三)から出たもので、「其の鋭を挫き、其の粉を解き、其の光を和らげて、其の塵に同ず」とある。自己のすぐれた学徳や才能を隠して俗世間に交わることを意味するが、仏教では『摩訶止観』六下に、「和光同塵結縁の初め、八相成道は以て其の終を論ず」(正蔵四六・八〇上)とあるように、仏・菩薩衆生救済するため、本来持つ悟り智慧の力(威光)を和融して、塵のような世俗において悩める人々の受け入れやすい仮の姿をとって、衆生と縁を結ぶことの意に転用されている。日本においては、平安時代・鎌倉時代にこれを本地垂迹ほんじすいじゃくせつに応用して盛んに説かれ、仏や菩薩衆生済度のためにさまざまな神祇じんぎとなって出現したと信じられた。


【資料】『平家物語』二、『安楽集私記』下


【参考】村山修一『本地垂迹』(吉川弘文館、一九七四)、今堀太逸『日本庶民仏教史の研究』(法蔵館、一九九九)


【参照項目】➡本地垂迹


【執筆者:薊法明】