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提供: 新纂浄土宗大辞典

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他者に対し、自分、もしくは誰かある者のために何かある行動を起こすよう促し、そのように請い願うこと。仏典における用例は数多く多様であるが、[[梵天]][[勧請]]がよく知られる。『仏本行集経』三三では、[[成道]]後、[[涅槃]]の境地は誰にもわかり得ないと沈黙する[[釈尊]]に[[梵天]]が「我今無上[[世尊]]に[[勧請]]せん。諸の[[衆生]]の為に、寂静に住すること莫れ。唯願わくは[[世尊]]、[[慈悲]]をもて[[説法]]したまえ。願わくは修[[伽陀]]、<ruby>憐愍<rt>れんみん</rt></ruby>をもて[[説法]]したまえ」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V03.0806a.html 正蔵三・八〇六上])と[[勧請]]し、さらには偈を以て重ねて[[説法]]を願ったところ[[釈尊]]は「[[梵天]]王の[[勧請]]の偈を聞き已り、[[衆生]]の為に、[[慈悲]]心を起し」(同八〇六下)と[[勧請]]を受け容れ、[[説法]]することを宣言する。また、『宝雲経』二に「我、まさに[[勧請]]して[[法輪]]を転ぜしめん。仏、若し[[涅槃]]に入りなば、我、まさに[[勧請]]して世に久住せしめ[[衆生]]を[[利益]]せん」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V16.0218b.html 正蔵一六・二一八中])とあるように、[[菩薩]]は仏の[[転法輪]]と仏が世に久しく住するよう[[勧請]]することで[[衆生]]の[[利益]]を願うといい、さらに『[[十住毘婆沙論]]』六([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V26.0048b.html 正蔵二六・四八中])などでは[[懺悔]]・[[随喜]]・[[回向]]等とともに[[勧請]]は[[菩薩]]の[[修行]]項目に挙げられる。なお、主に[[密教]]の[[修法]]などにおいて、その[[道場]]に尊格の降臨を請うことをいい、また神仏の分身を本来の地から他に分け移すこと、さらには[[高僧]]を招くこともいう。
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他者に対し、自分、もしくは誰かある者のために何かある行動を起こすよう促し、そのように請い願うこと。仏典における用例は数多く多様であるが、[[梵天]][[勧請]]がよく知られる。『仏本行集経』三三では、[[成道]]後、[[涅槃]]の境地は誰にもわかり得ないと沈黙する[[釈尊]]に[[梵天]]が「我今無上[[世尊]]に[[勧請]]せん。諸の[[衆生]]の為に、寂静に住すること莫れ。唯願わくは[[世尊]]、[[慈悲]]をもて[[説法]]したまえ。願わくは修[[伽陀]]、<ruby>憐愍<rt>れんみん</rt></ruby>をもて[[説法]]したまえ」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V03.0806a.html 正蔵三・八〇六上])と[[勧請]]し、さらには偈を以て重ねて[[説法]]を願ったところ[[釈尊]]は「[[梵天]]王の[[勧請]]の偈を聞き已り、[[衆生]]の為に、[[慈悲]]心を起し」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V03.0806c.html 同八〇六下])と[[勧請]]を受け容れ、[[説法]]することを宣言する。また、『宝雲経』二に「我、まさに[[勧請]]して[[法輪]]を転ぜしめん。仏、若し[[涅槃]]に入りなば、我、まさに[[勧請]]して世に久住せしめ[[衆生]]を[[利益]]せん」([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V16.0218b.html 正蔵一六・二一八中])とあるように、[[菩薩]]は仏の[[転法輪]]と仏が世に久しく住するよう[[勧請]]することで[[衆生]]の[[利益]]を願うといい、さらに『[[十住毘婆沙論]]』六([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V26.0048b.html 正蔵二六・四八中])などでは[[懺悔]]・[[随喜]]・[[回向]]等とともに[[勧請]]は[[菩薩]]の[[修行]]項目に挙げられる。なお、主に[[密教]]の[[修法]]などにおいて、その[[道場]]に尊格の降臨を請うことをいい、また神仏の分身を本来の地から他に分け移すこと、さらには[[高僧]]を招くこともいう。
 
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【執筆者:袖山榮輝】
 
【執筆者:袖山榮輝】

2018年9月17日 (月) 01:17時点における版

かんじょう/勧請

他者に対し、自分、もしくは誰かある者のために何かある行動を起こすよう促し、そのように請い願うこと。仏典における用例は数多く多様であるが、梵天勧請がよく知られる。『仏本行集経』三三では、成道後、涅槃の境地は誰にもわかり得ないと沈黙する釈尊梵天が「我今無上世尊勧請せん。諸の衆生の為に、寂静に住すること莫れ。唯願わくは世尊慈悲をもて説法したまえ。願わくは修伽陀憐愍れんみんをもて説法したまえ」(正蔵三・八〇六上)と勧請し、さらには偈を以て重ねて説法を願ったところ釈尊は「梵天王の勧請の偈を聞き已り、衆生の為に、慈悲心を起し」(同八〇六下)と勧請を受け容れ、説法することを宣言する。また、『宝雲経』二に「我、まさに勧請して法輪を転ぜしめん。仏、若し涅槃に入りなば、我、まさに勧請して世に久住せしめ衆生利益せん」(正蔵一六・二一八中)とあるように、菩薩は仏の転法輪と仏が世に久しく住するよう勧請することで衆生利益を願うといい、さらに『十住毘婆沙論』六(正蔵二六・四八中)などでは懺悔随喜回向等とともに勧請菩薩修行項目に挙げられる。なお、主に密教修法などにおいて、その道場に尊格の降臨を請うことをいい、また神仏の分身を本来の地から他に分け移すこと、さらには高僧を招くこともいう。


【執筆者:袖山榮輝】