操作

「光明歎徳章」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

(1版 をインポートしました)
1行目: 1行目:
 
=こうみょうたんどくしょう/光明歎徳章=
 
=こうみょうたんどくしょう/光明歎徳章=
[[誦経]]に用いられる経文。『[[無量寿経]]』上の「仏告[[阿難]]」(聖典一・四七/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0013 浄全一・一三])から「尚未能尽」(同・四九~五〇/同・一三)までの一節を指す。[[如来]][[光明歎徳章]]ともいう。[[阿弥陀仏]]の[[光明]]を[[讃歎]]する内容で、その中に[[十二光仏]]が説示される。[[義山]]『[[無量寿経随聞講録]]』や[[観徹]]『[[無量寿経合讃]]』では、この一節を「[[光明歎徳章]]」とは指示しない。経文としては、大正一二年(一九二三)刊『[[浄土宗法要集]]』に「[[無量寿経]][[光明]]歎徳文」として取り上げられている。また同年刊行の『[[弁栄聖者]]御遺文 第一輯』所収「[[如来]][[光明]][[礼拝]]儀」には、一部省略された形ではあるが「[[如来]][[光明歎徳章]]」として[[訓読]]で収載されている。
+
[[誦経]]に用いられる経文。『[[無量寿経]]』上の「仏告[[阿難]]」(聖典一・四七/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0013 浄全一・一三])から「尚未能尽」(同・四九~五〇/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0013 同・一三])までの一節を指す。[[如来]][[光明歎徳章]]ともいう。[[阿弥陀仏]]の[[光明]]を[[讃歎]]する内容で、その中に[[十二光仏]]が説示される。[[義山]]『[[無量寿経随聞講録]]』や[[観徹]]『[[無量寿経合讃]]』では、この一節を「[[光明歎徳章]]」とは指示しない。経文としては、大正一二年(一九二三)刊『[[浄土宗法要集]]』に「[[無量寿経]][[光明]]歎徳文」として取り上げられている。また同年刊行の『[[弁栄聖者]]御遺文 第一輯』所収「[[如来]][[光明]][[礼拝]]儀」には、一部省略された形ではあるが「[[如来]][[光明歎徳章]]」として[[訓読]]で収載されている。
 
----
 
----
 
【参考】浄土宗総合研究所編『浄土宗日常勤行式の総合的研究』(浄土宗総合研究所、一九九九)
 
【参考】浄土宗総合研究所編『浄土宗日常勤行式の総合的研究』(浄土宗総合研究所、一九九九)

2018年9月17日 (月) 01:17時点における版

こうみょうたんどくしょう/光明歎徳章

誦経に用いられる経文。『無量寿経』上の「仏告阿難」(聖典一・四七/浄全一・一三)から「尚未能尽」(同・四九~五〇/同・一三)までの一節を指す。如来光明歎徳章ともいう。阿弥陀仏光明讃歎する内容で、その中に十二光仏が説示される。義山無量寿経随聞講録』や観徹無量寿経合讃』では、この一節を「光明歎徳章」とは指示しない。経文としては、大正一二年(一九二三)刊『浄土宗法要集』に「無量寿経光明歎徳文」として取り上げられている。また同年刊行の『弁栄聖者御遺文 第一輯』所収「如来光明礼拝儀」には、一部省略された形ではあるが「如来光明歎徳章」として訓読で収載されている。


【参考】浄土宗総合研究所編『浄土宗日常勤行式の総合的研究』(浄土宗総合研究所、一九九九)


【参照項目】➡十二光仏


【執筆者:石田一裕】