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三世諸仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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さんぜしょぶつ/三世諸仏

過去・現在・未来の三世に在すもろもろの仏陀の総称。仏教とは永遠の真理「法」を説く教えであると捉える場合、釈尊がこの世に出現しようがしまいが、法そのものは過去でも未来でも常住不変に存在するはずのものであり、そうした観点に立った上で、仏陀とは法を見出した者、法の発見者であると見なすならば、仏陀が出現する可能性を釈尊一仏に限定する必要はなく、むしろ法の普遍性を積極的に見出そうとするところに、三世諸仏の存在が主張されよう。こうした普遍性は、例えば『サンユッタ・ニカーヤ』六・一・二において「過去の正覚者 未来の諸仏 今の正覚者 衆生の多くの憂悩を滅ぼす人は すべて正法を敬いて 住し給いき、今住し給う。又未来住し給う。こは諸仏にとりて法として然り」(南伝一二・二三九~四〇)と示される。法の発見者としての仏陀は、例えば、涅槃に至る道を城に至る道に譬える、いわゆる『城喩経』(相応部一二・六五)に、過去の仏陀たちが辿った法という古い道を釈尊が発見したと説かれるように、一つは過去の仏陀として意識され、『テーラガーター』第四九〇偈に代表されるような過去七仏、『仏本行集経』所説の過去十五仏、南方分別上座部に伝わる過去二十四仏へと展開し、さらには『観薬王薬上二菩薩経』の五十三仏名や、仏名経典へと発展する。未来仏について言えば、例えば『賢劫経』(正蔵一四・四六上~五〇上)において現在を含む賢劫、過去に当たる荘厳劫、未来に当たる星宿劫にそれぞれ千仏が出現すると語られる中、賢劫の千仏中、第一から第三までが釈尊以前の過去仏に配され、第四の釈迦文、第五の慈氏以降、相当数の仏名が挙げられるところを見ると、賢劫中の慈氏以降と星宿劫の諸仏を法の発見者たる未来仏と位置付けることができよう。このような過去仏、未来仏の展開は法における時間的な普遍性の反映であり、またある仏が誰かある者に汝は未来に仏となると予言する授記思想と関連付けられるが、釈尊の滅後、その次の仏として弥勒が出現するまで天文学的な時間を有すると解されるなど、一仏と一仏の間には無仏の期間があると考えられた。これは法の発見がいかに困難なものであるかを物語るが、他方、例えば『般舟三昧経』が「現在諸仏悉在前立三昧」を提唱し、あるいは『阿弥陀経』が西方に在す阿弥陀仏の「今現在説法」や六方の諸仏の証誠を説き、さらには般若経典など種々の大乗経典において「現在十方諸仏」や「十方三世諸仏」が説かれるなど、法における空間的な普遍性もまた見出されている。したがって三世諸仏は法における時間的、空間的な普遍性を代弁するものであり、法の発見者である諸仏があらゆる世界においてかつて出現し、今出現し、未来に出現することを物語っていよう。


【参考】真田康道監修『新訂仏教学概論』(浄土宗、二〇〇四)、吉元信行他「原始仏教における過去仏・未来仏思想の形成」(『真宗総合研究所紀要』七、一九九〇)、宮坂宥勝『仏教の起源』(山喜房仏書林、一九七一)


【参照項目】➡六方諸仏授記三世


【執筆者:袖山榮輝】