七分全得
提供: 新纂浄土宗大辞典
しちぶぜんとく/七分全得
死後の追善供養によってもたらされる功徳は、全体の七分の一(七分獲一)であるが、生前に功徳を積むと七分を全て得るということ。ここで言われるような、生前に修する法要は逆修と呼ばれ、没後追善供養に比べて七倍の功徳があるとされる。『随願往生十方浄土経』(または『灌頂経』ともいう)には、「衆生ありて三宝を信ぜず。法戒を行ぜず。或時は信を生じ。或時は誹謗す。或時父母兄弟親族、卒に病苦の縁を得て、此命終わる。或いは堕ち三途八難之中に在る。諸の苦悩を受け、休息有ること無し。父母兄弟及び諸親族、其の為に福を修し福を得るや否や。仏普広に言く。此の人の為に福を修し七分の中、一を獲る也。何の故に爾るや。其れ前世に道徳を信ぜざるに縁る。故に福徳の七分の一を獲さしむ」(正蔵二一・五三〇上)とあり、『地蔵菩薩本願経』には、「若し男子女人有りて、生在るとき善因を修さず、多く衆罪を造る。命終の後、眷属小大福利を造らんとするも、一切聖事七分之中乃ち一を獲る。六分の功徳は生者の自利たり。是を以ての故に、未来現在の善男女等、聞くこと健やかなるに自ら修し分分に已に獲よ」(正蔵一三・七八四中)とある。これらの諸説は、逆修の理論的根拠ともなっている。逆修とは、生前中、自らのために法要や説法等を修する法会で、行うことにより治病・延命・死の受容などが期された。いわゆる疑死再生儀礼の一種とも位置付けられる。日本では古代末期より、天皇や貴族などが、老年期に行った記録が看取される。法然は遵西の父であった中原師秀に請われて、逆修の導師を務めている。その際の講録が『逆修説法』である。
【資料】『随願往生十方浄土経』、『地蔵菩薩本願経』、法然『逆修説法』
【参考】池見澄隆「逆修考—中世信仰史上の論拠と実態」(『浄土宗学研究』一四、一九八一)、大谷旭雄「法然上人における逆修について」(佐藤密雄博士古稀記念『仏教思想論叢』山喜房仏書林、一九七二)
【執筆者:東海林良昌】