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高山寺 (こうざんじ)

提供: 新纂浄土宗大辞典

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こうざんじ/高山寺

京都市右京区梅ヶ畑栂尾とがのお町。栂尾山。古義真言宗別格本山であったが現在は真言宗御室派系の単立寺院。史料には、貞寛年間(八五九—八七六)に「都賀尾寺」の名が出る(「尊意贈僧正伝」)。これより後年、神護寺の別院となるも荒廃し、建永元年(一二〇六)後鳥羽院の院宣により明恵に下賜され、また院より勅額「日出先照高山之寺」を賜ったことによって、寺名を「高山寺」とする。貞応二年(一二二三)善妙寺を栂尾に附し、寛喜二年(一二三〇)太政官符により、善妙寺を含む高山寺の四至が定められた。この間、多くの帰依者ならびに弟子等によって、本堂をはじめ運慶作の毘盧遮那仏四天王像他が徐々に整えられていく。現在までに多くの堂舎等を焼失したが、鎌倉時代の建造物である石水院をはじめ、鳥獣戯画、仏眼仏母像(いずれも国宝)等、多くの国宝・国重要文化財を現在に伝える。平成六年(一九九四)「古都京都の文化財」としてユネスコの世界文化遺産に登録された。


【資料】高信撰『高山寺史』(『明恵上人資料』一、東京大学出版会、一九七一)、宗性撰『日本高僧伝要文抄』「尊意贈僧正伝」(『国史大系』三一、吉川弘文館、一九六五)


【参考】奥田勲『明恵 遍歴と夢』(東京大学出版会、一九七八)、同「高山寺年表稿」(『昭和五六年度高山寺典籍文書綜合調査団研究報告論集』、一九八二)


【参照項目】➡明恵


【執筆者:米澤実江子】