小野玄妙
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:21時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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おのげんみょう/小野玄妙
明治一六年(一八八三)二月二八日—昭和一四年(一九三九)六月二七日。瑞蓮社諦誉篤阿。字は二楞学人。横浜市中区洲干町に小野兼吉の次男として生まれる。明治三五年(一九〇二)浄土宗学東京支校に入学、在学中に論文「大乗非仏論を駁す」を発表し、大乗が非仏説ならば小乗もまた非仏説であると主張した。同三七年浄土宗高等学院に進んだが二年で中退。同三八年『仏教年代考』(宗教研究会)を出版、同三九年以降は望月信亨に師事し『大日本仏教全書』(仏書刊行会)、『仏教大辞典』(武揚堂書店)、『仏教大年表』(武揚堂書店)の編纂に従事した。大正六年(一九一七)埼玉県埼玉郡新和村末田(現・越谷市大成町)浄音寺の住職となり、同七年に宗教大学教授となる。その間、本田賢祐らとともに雑誌『宗教界』の編集にもたずさわり、同九年頃からは仏教美術の研究にもいそしむ。また、同一二年から『大正新脩大蔵経』(大蔵出版)の編集長を務め、昭和二年(一九二七)には『大乗仏教芸術史之研究』(大雄閣)を著した。同七年文学博士の学位を取得し、その成果を『仏教之美術及歴史』(仏書研究会)として刊行。他にも多数の仏教学・仏教美術に関する著作がある。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:齋藤知明】