れいじゅん/霊順
—宝暦元年(一七五一)一二月一四日。河誉、号は一道。博覧強記の人。西迎院快誉について出家。三〇歳のときに伊勢国観正庵に住持し、疏鈔を閲することを楽しみとする。また悪衣悪食にして念仏精進すること日課六万遍、また三時の礼誦を欠かさず行ったという。兄の瞻阿が曼陀羅を描いて世に弘通せんとする願を発したことを知り、その願に随喜して自らも曼陀羅を世間に弘めんと発願、以後曼陀羅の研究に専念する。著書に曼陀羅の解説書『捜玄記』八巻をはじめ、一四部の著作があったと伝えられる。
【資料】『略伝集』(浄全一八)
【執筆者:朝岡知宏】