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迦才

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かざい/迦才

七世紀中頃、生没年不明。中国唐代の長安の弘法寺に住したとされる学僧。伝記資料が存在しないため、事蹟の詳細は明らかにならないが、著書に『浄土論』三巻がある。その序に「近代、綽禅師あり、安楽集一巻を撰す」(浄全六・六二七上)とあり、また所収されている往生伝には貞観二二年(六四八)に没した姚婆のことが記載されるため、道綽善導とほぼ同時期に活躍したものと思われる。弘法寺は武徳三年(六二〇)、静琳(五六五—六四〇)の開基であるが、神龍元年(七〇五)に大法寺と改称される。静琳と迦才に師弟関係があったのかどうかは不明。弘法寺には、吉蔵道世、嘉尚らの学僧も止住した。迦才の教系については古来、摂論学系と三論学系の二説あるが、著述内容からみると摂論学系とするのが妥当である。「迦才」の名称は中国、朝鮮では一度もあらわれることがなく、平安時代の慶滋保胤日本往生極楽記』に「大唐弘法寺釈迦才、浄土論を撰す」(続浄一七・一上)と明記されたものが初出である。『続高僧伝道綽伝にみられる道撫と迦才を同一人物とみる学説もある。


【資料】『浄土論』(浄全六)


【参考】名畑応順『迦才浄土論の研究』(法蔵館、一九五五)、成瀬隆純「弘法寺釈迦才考」(『平川彰博士古稀記念論集 仏教思想の諸問題』春秋社、一九八五)、同「迦才『浄土論』成立考」(印仏研究四二—二、一九九四)、工藤量導『迦才「浄土論」と中国浄土教—凡夫化土往生説の思想形成』(法蔵館、二〇一三)


【参照項目】➡浄土論迦才浄土論余暉鈔


【執筆者:工藤量導】