寛永元年(一七四八)—文化二年(一八〇五)九月九日。妙蓮社稟誉承阿、字あざなは紫雲。金戒光明寺四八世。生地は不明。芝増上寺において宗学を修め、寛政九年(一七九七)七月五日に本所霊山寺一九世に就任。その後、文化元年(一八〇四)一二月四日に金戒光明寺に晋山して、四八世の法灯を受け継いだが、同二年五八歳にて遷化。
【資料】『黒谷誌要』『本所霊山寺志』(共に浄全二〇)、『浄源脈譜』『三縁山志』八(共に浄全一九)
【執筆者:井野周隆】