「二十五菩薩」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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にじゅうごぼさつ/二十五菩薩
『十往生阿弥陀仏国経』に説かれる二五の菩薩。観世音菩薩・勢至菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・法自在菩薩・獅子吼菩薩・陀羅尼菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・金剛菩薩・山海慧菩薩・光明王菩薩・華厳王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・日照王菩薩・三昧王菩薩・自在王菩薩・大自在王菩薩・白象王菩薩・大威徳王菩薩・無辺身菩薩。阿弥陀仏を念じ、極楽へ往生を願う者に対し、阿弥陀仏が以上の二五の菩薩をその行者の擁護のためにつかわすと説く。それにより、悪鬼悪神から行者を護り、日夜安穏の中で修行に励むことができる。ただし、この経では仏身の観身法を重視し、経名の通り一〇種の往生方法を説くが、称名念仏は一切見られず称名念仏行者の擁護には触れていない。古来、中国撰述の偽経といわれているが、善導は『観念法門』『法事讃』『往生礼讃』などにこの経を引用して願往生者の擁護を説く。また、源信も『往生要集』でこの経を引用し、その擁護について説いている。平安時代の浄土信仰の発展にともない来迎が注目され、鎌倉時代以降、次第に往生人を擁護するために二十五菩薩の来迎が説かれるようになる。源信の始めた迎講やそれを原型とする練供養などは極楽往生を視覚的に体験できるものであるが、次第にその中に二十五菩薩の来迎が表現されるようになっていった。また聖衆来迎図などにも、阿弥陀仏とともに二十五菩薩が描かれるようになり、鎌倉時代以降盛んに行われた。さらに、二十五菩薩和讃が室町時代に作られ、二十五菩薩は来迎にはなくてはならない存在として定着した。しかしながら、二十五菩薩の来迎はどこにも説かれてはいない。二十五菩薩の役目は行者をつねに擁護することであるので、当然臨終にも擁護するであろうとの考えから来迎の中に加えられたものと考えられる。
【参照項目】➡十往生阿弥陀仏国経
【執筆者:横田善教】