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「津田徳翁」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:29時点における最新版

つだとくおう/津田徳翁

大正三年(一九一四)七月二一日—平成一二年(二〇〇〇)一月二六日。玅響音院真蓮社誠誉満阿徹心。正僧正正司教嗣講法儀司縁山声明の大家。宗門功労者。東京都港区高輪正覚寺津田徳成の長男として生まれる。昭和二年(一九二七)大本山増上寺にて得度、同年芝中学入学、同七年芝中学卒業、同年大正大学専門部仏教科入学、同九年総本山知恩院にて伝宗伝戒相承、同一〇年大正大学卒業と同時に自坊の正覚寺二五世住職を拝命し、増上寺式師・楽師として研鑽を重ねる。同一五年より同三七年まで増上寺伝宗伝戒と璽書道場の行係を務め、同三八年より終身教誡師を務める。同年浄土宗より法儀司に任ぜられ、法式審議会委員、知恩院法儀研鑽会委員、知恩院仏教音楽研究所嘱託委員等の役職を歴任し、同五三年に法式審議会委員長に就任した。またこの間に東京教区教区会議員、城南組組長を長年務めた。同五九年住職法嗣に譲り、増上寺教授師会奉行として奉仕する傍ら、声明の五線譜化を専門家に依頼し、自ら録音して縁山声明の伝承に尽力するなど生涯を法式に捧げ、増上寺尊宿の最高位である法務大和尚に列せられた。世寿八五歳。


【参照項目】➡縁山声明集


【執筆者:岡本圭示】