高徳院
提供: 新纂浄土宗大辞典
こうとくいん/高徳院
神奈川県鎌倉市長谷。大異山清浄泉寺。通称は鎌倉大仏。神奈川教区№一一四。開山・開基不詳、中興祐天。本尊阿弥陀仏は発願者の源頼朝と夫人政子の遺志を継いだ侍女の稲多野局と幕府の協力、念仏聖浄光の勧進により建立された。最初暦仁元年(一二三八)木像の大仏の造立を始め、寛元元年(一二四三)に開眼供養を行った。その後建長四年(一二五二)現在の国宝青銅大仏像の鋳造を始めた。仏身の高さ一一・三一二メートル、仏身の重量約一二一トン。鋳造の技術者として、丹治久友・物部重光・大野五郎右衛門の名が伝えられる。また大仏殿別当を忍性が務めたり、室町時代には建長寺が管理したこともある。建武元年(一三三四)と応安二年(一三六九)に大風で大仏殿が倒壊し、明応七年(一四九八)の大地震では堂舎が倒壊したが、そのつど復興した。元禄一六年(一七〇三)の大地震による大仏殿の破損は、正徳二年(一七一二)祐天の帰依者である江戸浅草の豪商野島新左衛門の寄進により復興し、同三月一五日に高徳院の堂舎が完成し入仏供養が行われた。現在は本堂・書院・経蔵・観月堂・廻廊・山門などがある。
【資料】『吾妻鏡』『東関紀行』
【参考】『鎌倉市史』(鎌倉市、一九五九)
【参照項目】➡鎌倉大仏
【執筆者:宇高良哲】