長楽寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
ちょうらくじ/長楽寺
京都市東山区八坂鳥居前東入円山町。黄台山。現在は時宗。寺伝では最澄開山と伝えるが、『阿娑婆抄』には延喜年間(九〇一—九二三)に寛平法皇(宇多天皇)の御持仏である准胝観音を本尊として寛雅が建立したとみえるなど草創については諸説みられる。東山三十六峰の一つである長楽寺山麓に位置する。延暦寺の末寺で貴族の幽閑の地として歌会も頻繁に催され、洛陽七観音の一つである准胝観音が祀られる霊場寺院として貴賤を問わず多くの信仰を集めた。『平家物語』灌頂巻には建礼門院が法然の弟子阿証房印西を戒師として出家した記述がみえる。専修念仏教団との繫がりが深く、法然の直弟である隆寛は、来迎房に居住しており、その流れを長楽寺流と呼び栄えた。中世には多くの念仏聖が同寺を拠点に活動している。以後寺勢が衰えるが、栄尊の代には霊山正法寺の末寺となり堂舎を復興する。近世には豊臣秀吉により寺領八石四斗を与えられ江戸時代も引き続き安堵されるが、江戸中期より再び衰退する。明治の初めには知恩院山内の良正院の末寺となるが、明治三年(一八七〇)には再び時宗正法寺の末寺となり、以後は同寺が堂舎復興に尽力した。同四一年に時宗の七条道場金光寺を合併し金光寺の山号を名乗り現在に至る。
【資料】『平家物語』灌頂巻(『新日本古典文学大系』)
【参考】菊地勇次郎『長楽寺千年』(長楽寺、一九八二)
【執筆者:伊藤茂樹】