自殺・自死
提供: 新纂浄土宗大辞典
じさつ・じし/自殺・自死
自分自身の命を絶つこと。現代社会においては、生存する上で生じる健康問題、社会的問題、心理的問題等が複雑に絡み合い、苦悩が高まることで、生への希望が弱まり、死を選択せざるを得ない精神状況に置かれた結果の行為とみなされる。社会的な面では、経済的困窮、人間関係における対立・孤立などがあげられ、心理的な面は、うつ病などの精神疾患や苦悩を抱え込んでしまうなどのことがあげられる。命を絶つ段階で正常な意思が働いているか否かは議論の分かれるところであり、従来の「命を自分の思うがままに扱う、粗末にしている」等の見解とは異なる意見も出てきている。「殺」という言葉に含まれる罪悪の価値観を避けようとする立場や、自らを殺すという意志的な行為ではないとする立場から「自死」という言葉が近年用いられている。現代の苦しみの結果としての自殺は、明確な欣求浄土の念は無くとも、厭離穢土の念は極めて強いことが想像される。浄土教徒としては、法然の「三途に帰るべき事をする身をだにも捨て難ければ、かえり見、はぐくむぞかし。まして往生すべき念仏申さん身をば、いかにもいかにも羽含みもてなすべし」(『十二問答』聖典四・四一七/昭法全六四一)という言葉にあるように、自殺念慮者には、どうすれば生きる方向に気持ちが向かうか、ともに考え、最終的には念仏生活に導くような姿勢が求められる。一方で、すでに自殺を果たしてしまった者に対しては、その生前の苦しみに思いをいたし、阿弥陀仏による救済を確信しての念仏回向をつとめることが望まれる。
【参考】『総研叢書 第六集 よりそう心—現代社会と法然上人』(浄土宗、二〇一〇)
【執筆者:小川有閑・宮坂直樹】